聖書とは(新共同訳聖書付録「聖書について」より) | 旧約聖書

聖書の最初の五つの書は「モーセ五書」と呼ばれるが、新約の福音書でこれらの書は通常「律法」といわれている。神の民が、シナイ山で結ばれた契約にふさわしく生きるのに必要なことが含まれているからである。

「創世記」には天地万物、人間、イスラエル民族の起源が述べられており、特に、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの偉大な先祖が紹介されている。

第二の書「出エジプト記」は、その名称が示す通り、イスラエルの民のエジプトからの脱出とシナイ山の契約を述べている。

これに続く三書では、この契約によって求められた生き方が記されている。

「レビ記」は、レビ族に託された宗教的、民事的法規を収めたものである。

「民数記」は、荒れ野滞在時代の人口調査からその名を得ている。

「申命記」は、エジプト脱出と荒れ野滞在中の出来事の意味と、約束の地に入る際に守るべき神の律法を述べながら神への誠実を説く、長い温かい勧告の書である。

モーセ五書に、イスラエルの民の歴史的な体験を物語る文書が続く。生ける神と人間の出会いは、イスラエルの生活の中で展開したからである。これらの書を読むと、長い歴史の歩みの中で、イスラエルの民が忠実であるときにも、不忠実であるときにも、神どのようにしてその民と共におられたかを知ることができる。

これらの文書は大別して二種類のイスラエル史からできている。一つは「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記」「列王記」を含み、もう一つは「歴代誌」「エズラ記」「ネヘミヤ記」から成る。

第一のイスラエル史の中で、「ヨシュア記」は、モーセの後継者であるヨシュアの指導のもとでなされたカナン征服と、イスラエルの十二部族に与えられた土地の分割を述べている。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない」(ヨシュ 1:5)。これが聖書全体の伏線となる本書の主題である。勝利の喜びが各ページに感じられる。

「士師記」では、カナン定着に伴う種々の困難な出来事の中で、イスラエル人の心がカナン住民の礼拝する神々に傾き、しばしば近隣の民に屈服させられた経緯が語られる。この苦難のとき、民は神への不誠実を悔い、神に立ち帰って、その助けを願う。神は民の過ちにもかかわらず、この呼びかけにこたえ、救済者として「士師」を遣わす。神は真に民の“救い主”である。

「サムエル記」の上下二巻は、部族の統合がいかになされ、サウルとダビデによる中央集権がいかに形成されたかを物語っている。ここに王朝が成立する。

「列王記」の上下二巻は、王朝の終わるエルサレム没落までを述べる。神の要求を具体的に知らせる預言者が現れるのはこの時期であり、彼らの文書である預言書は旧約聖書の終わりに収められている。

「士師記」における不誠実と悔い改めの物語の直後に、ルツというモアブ人女性の誠実を物語る短編「ルツ記」が挿入されている。その誠実な生涯の結果、彼女は偉大な王ダビデの系図に名を連ねることになる。

第二のイスラエル史の中心点は、エルサレムとその神殿である。

「歴代誌」の上下二巻はダビデとソロモンのもとでの神殿建築と礼拝を述べ、「エズラ記」と「ネヘミヤ記」の両書は、捕囚の身となった民のバビロニアからの帰還、破壊された神殿の捕囚後の再建と、エルサレムのユダヤ人共同体の形成を描いている。

「エステル記」は、捕囚となった一ユダヤ人女性が、ユダヤ人絶滅をたくらむ陰謀をいかに挫折させたかを物語っている。

千有余年の間、神がその民のうちに現存した事実を物語る以上の各書に、知恵文学の諸書が続く。「ヨブ記」は旧約聖書の最も劇的な書の一つであり、ヨブとその友人との対話形式による長い詩である。苦しむヨブが「利益もないのに、神を敬うだろうか」(1:9)ということが対話の主題であり、それはヨブ一人の問題ではなくて、苦しむ義人すべての問題でもある。

「詩編」は、共同あるいは個人の種々の祈りを収めたもので、賛美の詩、感謝の詩、嘆願の詩等から成っている。あるものは救いの歴史を思いめぐらすものであったり、あるものは神を迎えるための生き方を考えるものであったりする。

「箴言」は、人生のさまざまな状況の中で、神の前での正しい生き方を教える知恵者たちの金言集である。ここに示される賢明な行動のみが人間に有益である。

「コヘレトの言葉」は、死に運命づけられた人間の生の意義について考えた、ある知恵者の書である。

「雅歌」は愛の歌を集めたものであり、ユダヤ人もキリスト者も伝統的に、これを神と人間との相互愛の象徴的表現と見る。

旧約聖書は、預言者の説教の集大成で終わる。預言者とは、神の言葉を語るために神によって呼び出された人々である。

「イザヤ」は、紀元前八世紀の後半、アッシリア帝国の最盛期にエルサレムに遣わされた神の使者であり、王と住民全体を、どんなときも神に信頼し、神に従うように招く。本書の第二部(40~55章)は、バビロニアに移されたユダヤ人に向けられ、第三部(56~66章)は未来のエルサレムを歌っている。

「エレミヤ」も、エルサレムの住民に語るが、時代的にはイザヤの一世紀以上後の新バビロニア帝国の初期のことである。エレミヤは民を愛しているが、破局の近いことを告げる孤独の人であり、しばしば迫害される。彼はエルサレムの陥落と王朝の最後の目撃者である。

「哀歌」は、五つの歌から成り、このエルサレムの滅亡を嘆く。

「エゼキエル」は、エルサレムの神殿の祭司であり、エレミヤと同時代に活躍する。バビロニアに移され、捕囚の民のもとで使命を果たす。しばしば人の思いも及ばぬ行動と弁舌に走るが、エルサレムの荒廃を知ると、その説くところは変わり、生存者に慰めと救いの使信を告げる。

「ダニエル」は、バビロニア王の宮廷に仕えているユダヤ人の青年として現れ、迫害の中の信仰者に対し、信仰を堅持し神の最終的勝利を希望するよう促す。

これらの四つの預言書に、他の預言者たちの説教を伝える短い文書が加えられ、十二小預言書と呼ばれる。これらの預言者の中には、イザヤやエレミヤと同時代の人もいる。たとえば前八世紀中ごろ、イスラエル王国の隆盛時代に活躍した「アモス」は、形式的な礼拝と貧者への圧迫を告発する。その後しばらくして現れた「ホセア」は、民に対する神の愛、欺かれた愛を告知する。イザヤと同時代の人「ミカ」も、ユダの住民や、不忠実な民に対して神が起こす訴えを語り、第二のダビデの到来を告げる。「ヨナ書」は、やや趣を異にし、ニネベの住民に悔い改めを迫る預言者ヨナの出会った冒険を物語っている。「ハガイ」と「ゼカリヤ」は、捕囚のイスラエルのバビロニアからの帰還後、神殿の再建に協力しており、「マラキ」は、神の正しい裁きと救いの日が訪れることを告げる。

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