新翻訳事業について

日本聖書協会 講演会 聖書を耕す ―聖書との新たな出会いのために―

石川 立氏

石川 立氏
2014年5月15日
於・TKP大手町カンファレンスセンター

公けの見解としては、次のような理由が挙げられています。

1)新共同訳の出版から、ある程度の時間が経過した。

聖書協会による過去の日本語訳聖書の刊行を見ますと、『明治元訳』(1887年)、『大正改訳』(1917年)、『口語訳』(1955年)、『新共同訳』(1987年)と、ほぼ30年おきに改訂版あるいは新訳が出されてきています。『新共同訳』の出版の30年後といいますと、2017年です。ですから、『新共同訳』後の新しい訳がそろそろ欲しい時期に差し掛かっているわけです。

2)聖書学、翻訳学など学問研究の進展。日本語や日本社会の変化。

聖書学は日々動いています。翻訳の底本となるテクストの改訂もなされました。日本語や日本社会の変化もありました。様々な局面において聖書の言葉をめぐる変化があったのです。聖書を提供する側としては、これから聖書を読んでいく若い世代の感覚も無視するわけにはいきません。

3)『新共同訳聖書』見直しの要請。

『新共同訳』に対しては。「カトリックとプロテスタントが共同で翻訳した一つの聖書を両教派で使用できるようになった」という点に対する評価が高いです。その一方で、欠点の指摘もあります。全巻にわたる訳語の不統一性、訳文の精度のムラなどが指摘され、敬語表現に対しても不満が表明されています。これらの問題点を改善するためにも、新しい訳が必要となってきました。
(渡部信「日本における聖書翻訳の歩み」(上智大学キリスト教文化研究所編『日本における聖書翻訳の歩み』2013年、所収)64頁)

しかし、新しい訳を出す理由は、以上の点だけではありません。今述べた理由よりももっと根本的なところで、実は、翻訳はあくまでも翻訳である以上、定期的に訳し直さなければならないものなのです。翻訳されたテクストは、譬えて言えば畑のようなものです。人は最初は畑として耕し、石や雑草などを取り除きます。しかし、次第に人はそこを畑と思わず、石も雑草もない整った土地なので、そこを歩くようになります。いつの間にかその畑は道になり、表面の土が固まってしまう――そのような感じでしょうか。

多くの人たちが何度も何度も一つの聖書翻訳を読んでいますと、その翻訳の表面が踏まれ、踏まれて、滑るほどに固くなる。読み慣れてしまって、さっと読めてしまうようになる。実は、翻訳テクストという地面の下が大事なのに、翻訳テクストはどこか別のところへ行く通り道になってしまうのです。

新しく翻訳するということは、その固くなってしまった地面を耕すことです。

いくらすぐれた翻訳でも、そのまま放っておいてはいけない。たとえ優れた翻訳があったとしても、時間が経てば必ず新しい翻訳を出さなければならないのです。定期的に耕さなければならない。

新しい聖書翻訳を出すということは、前の訳を否定することではありません。もちろん何らかの改善をしていくわけですけれども、前の訳を否定したり、凌駕したりするわけではありません。口語訳聖書が文語訳聖書を否定したのではない。新共同訳聖書が口語訳聖書を克服したわけでもないのです。

みんなが歩いて固くなってしまった、そして通り道のようになってしまった畑を、改めて畑として耕し、土をほぐし、柔らかくする――それが、新しく聖書を翻訳する、ということに他なりません。

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