新翻訳事業について

日本聖書協会 講演会 聖書を耕す ―聖書との新たな出会いのために― 石川 立氏

石川 立氏
2014年5月15日
於・TKP大手町カンファレンスセンター

新共同訳と新しい翻訳聖書では方針に若干の差異がありますので、そのことが訳語を選ぶ際にも影響を与えてきます。新共同訳は当初、聖書が一般の人たちに広まることを優先したようですから、「分かりやすさ」を主に追求した部分が残っていると思います。一般向きの翻訳ですと、やはり表現が親切なものになります。ときに、親切すぎることもあります。訳が説明的になるのです。

この表をご覧ください。

■訳語の比較

ヘブライ語 箇所 文語訳 口語訳 新共同訳 新訳(仮)
ツェダカー 詩5:9 恵みの御業
ツァディーク 詩7:10 義人 正しき者 あなたに従う者 義人
ラーシャー 詩1:1 悪しきもの 悪しき者 神に逆らう者 悪人
ハーシード 詩116:15 聖徒 聖徒 主の慈しみに
生きる人
信仰ある人(?)
忠実な人(?)

分かりやすい例を集めました。これまでの日本語訳の訳語を比較したものです。

ヘブライ語で、ツェダカーは、文語訳、口語訳は「義」と訳してきたのですが、新共同訳では、「恵みの御業」となりました。新しい訳では、元に戻して「義」となるだろうと思います。

ツァディークは、文語訳「義人」、口語訳「正しき者」、新共同訳「あなたに従う者」、新訳ではたぶん「義人」となるでしょう。

ラーシャーは、文語訳「悪しきもの」、口語訳「悪しき者」、新共同訳「神に逆らう者」、新しい訳では「悪人」となる可能性が高いです。

ハーシードは、文語訳「聖徒」、口語訳「聖徒」、新共同訳「神の慈しみに生きる人」、新しい訳では、まだ検討中ですが、「信仰ある人」とか「忠実な人」という案が出ています。

ここで申し添えておきたいことが2つあります。1つは、今回の翻訳事業では、これまでの邦語訳聖書の中で「目標」にかなう訳があるならば、古い訳に戻ることもはばからないということです。2つ目は、1つの原語に対して1つの訳語でかならずしも統一しないということです。例えば、ハーシードを「信仰ある人」ないし「忠実な人」のどちらかに決めてしまって固定する、例外も認めない――というようなことはしません。ゆるやかに統一するということです。訳語をどれにしようか迷うくらいなら、提案されている訳語にすればいい。しかし、文脈上、ここはぜひ別の訳語を使う必要があるというのであれば、別の訳が認められるはずです。

以上の例からも分かるように、新共同訳は説明的すぎるという印象を受けます。説明的ということによって、次の3つの問題点が出てきます。

  • 1)訳語を説明的なものにしますと、一般の人たちには分かりやすくなると思いますが、礼拝・礼典で用いづらくなります。日本語としてのリズム・調子が悪くなります。
  • 2)先程、意味というのは、テクストと読者との出会いから生じてくる、と申しました。説明的な訳には、この出会いのチャンスをなくすという欠点があります。出会いを待たず、翻訳の段階で意味を限定して、親切にも提供してしまっています。ツェダカーは「恵みの業」という意味でも間違いではありませんが、しかし、もっと広い多彩な意味をもたらすはずなのです。その意味の広がりの芽を摘んでいる。言葉を狭い意味に限定してしまっています。
  • 3)これと似たことですが、説明的な表現は、意味は分かりやすいのですが、表現に面白味がない。先程の「あんたなんか、大嫌い」の例に戻れば、これは、「大好き」の意味だから、「大好き」と訳しておこうというようなものです。この場合の「大嫌い」は複雑な意味合いを含むわけで、大いに関心を持っているのに「大嫌い」と表現するところに、セリフの面白さ・意味の深みが出て来るのです。これを説明してしまっては味気がないです。意味というものは読者自身がそれに出会わなければならないものなのです。
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
このページに関するお問合せは
一般財団法人 日本聖書協会 翻訳部
〒 104-0061  東京都中央区銀座 4-5-1
TEL.03-3567-1989  FAX.03-3567-4436  E-mail. transl@bible.or.jp

ページの先頭に戻る

1997-2014(c)Japan Bible Society, Allrights reserved.  当サイトに掲載されている情報の無断転載を禁止します。