新翻訳事業について

日本聖書協会 講演会 聖書を耕す ―聖書との新たな出会いのために― 石川 立氏

石川 立氏
2014年5月15日
於・TKP大手町カンファレンスセンター

翻訳の作業

ここで、具体的な翻訳の作業をご紹介したいと思います。

まず、全体の概念図をご覧ください。

翻訳作業プロセス

聖書の翻訳作業は、まずは翻訳チームから始まります。翻訳チームは、原語担当翻訳者と日本語担当翻訳者が2人1組で構成します。原語担当者と日本語担当者が最初からチームを組むというのは、新共同訳のプロジェクトにはなかったことのようです。このチームで、4稿まで進みます。まず、原語担当者が底本から翻訳をします。これが第1稿。次に、日本語担当者が、第1稿の訳を翻訳方針に沿って修正します。これが、第2稿。さらに、原語担当者と日本語担当者は、第2稿を共同で検討し、第3稿を作成します。

次に、該当する書を担当した翻訳者チームの2名、翻訳者兼編集委員2名、そして、聖書協会のスタッフが加わり、「翻訳者委員会」を構成します。翻訳者委員会は第3稿を検討・改訂して第4稿を完成させます。この第4稿というのは、翻訳者が翻訳方針に沿い、共同で訳文を完成させた最終案です。この時点で、翻訳者によるすべての作業は終了です。この後、翻訳者以外の人たちが訳文を朗読して同音異義語などを洗い出す朗読チェックが入って第5稿となります。

次に、「編集委員会」による検討が行われます。これが第6稿にむけての作業です。翻訳者のほかに、様々な分野の専門家、聖書神学、教義学、翻訳学、日本語、典礼、女性学等の専門家が編集委員会を構成し、専門的な見地から第5稿を検討して、訳文に問題がある場合などには改訂します。これが第6稿です。

第6稿のパイロット版を書ごとに作成して外部モニターに配布し、第6稿の訳文に関してフィードバックをしていただく。編集委員会はこのフィードバックを受け、訳文を調整します。これが編集委員会による最終稿となります。これが第7稿。

次に序文や用語解説などを執筆し、聖書協会のスタッフによる調整を経て、最終調整となります。訳文は理事会に提出され承認を受けます。第8稿です。その後、印刷に向けて作業が開始するという具合です。

翻訳の全過程は、簡単に言えば、以上のようになります。

ところで、この概念図にあるのは最低限の活動でして、翻訳に関わる者は翻訳事業のあいだ学び続けます。外部の講師による講演や、互いに発表もし合ったりもします。また、合宿の際に交わりの時を持ちます。このように、学びつつ、硬直しがちな頭を軟らかくします。耕すのはテクストだけではなく、私たちの頭も耕しながら進んでいきます。

「パン(レヘム、アルトス)」は「ご飯」か?

翻訳事業に関わる者全体が参加する全体会議も行われました。その際、海外で長く聖書学、言語学を研究されてきた村岡崇光先生のご講演を聞く機会がありました。そのご講演の中で、一つ、大事な問題提起がなされましたので、ここで、そのことに簡単に触れておきたいと思います。

そのご講演の中で村岡先生は、ふつう「パン」と訳されている言葉は、日本語にする場合は、「ご飯」と訳すべきではないか、という提案をされました。「パン」と訳されるのは、ヘブライ語ではレヘム、ギリシア語ではアルトスと言いますが、それは確かに、イスラエルの人たちにとっては、日本人にとって「ご飯」に相当するような役割を持っています。生活の糧や、心の糧、生活や精神や人生を支える糧という、きわめて重要な意味合いを持っています。

村岡先生のご提案は確かに重要なことを示しています。「パン」では、日本人にはあまり切実な感じがしない。「パン」が切れていても、あまり困らない。だから、日本人に対しては、「パン」より「ご飯」のほうが、原文の意味合いをよく伝えるのではないか。確かにそうです。皆様はどう思われますか。

しかしながら、もう少し慎重に考えてみなければなりません。意味は出会いによって生まれると申しました。一人の日本人がレヘム、アルトスという言葉を読む。言葉と読者が出会って「ご飯」という意味が発生する――これはいいでしょう。しかし、そこで発生した意味を訳語にしてしまうのは、いかがでしょうか。発生してきた意味を訳語にすると、言葉との出会いが今度は、また次の次元で起こることになります。今度は「ご飯」という訳語を日本人が読んで、そこで新たな意味が発生してきます。「ご飯」という言葉は日本人にはあまりに豊か過ぎて、「パン」の「訳語」にするにはふさわしくないように思われます。別の文化的な意味を産み出すのです。家庭とか、故郷とか、おふくろの味とか、味噌汁とか漬物とか、そういう、「パン」とは違う意味を発生してしまうのです。

意味は出会いによって生じてきます。しかし、その出会いの結果を訳にするのは、いかがでしょうか。個人訳ならそれでいいでしょう。個人訳なら、むしろ良い訳になるかもしれません。しかしながら、聖書が礼拝や礼典で使われるという目標を持ったこの翻訳事業ではどうでしょうか。訳は出会いを記述したり、その結果を発表したりするのではなく、出会いを演出するものです。答えを出してしまってはいけないのです。

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