新翻訳事業について

日本聖書協会 講演会 聖書を耕す ―聖書との新たな出会いのために― 石川 立氏

石川 立氏
2014年5月15日
於・TKP大手町カンファレンスセンター

「人の子ら」か「アダムの子ら」か?

訳語を選ぶのは、難しいですけれども、なかなか興味深いことです。苦しいけれども、喜びもまたあります。

この講演の最後に、一つ、訳語の検討の例を取り上げてみたいと思います。詩編の訳として興味深い訳が翻訳者委員会のほうに上がってきましたので、訳語検討の一例としてご紹介したいと思います。これを皆様もご一緒に考えていただければ幸いです。

詩編90編3節なのですが、新共同訳ですと、こうなっています。

あなたは人を塵に返し、

「人の子よ、帰れ」と仰せになります。

この箇所の新しい訳が翻訳者委員会に上がってきたのですが、その訳は次のようでした。

「アダムの子らよ、帰れ」とあなたは言い

人を塵に返らせる。

ここでは、新共同訳で神が「人の子よ」と呼びかけているのに対して、新しい訳では「アダムの子らよ」と呼びかけている点が大きく異なっています。

しかし、新翻訳事業では、「アダム」という言葉は、個人を指していることがはっきりしている場合以外は、一般的な意味なので、「人」と訳しましょうという合意がだいたいなされています。しかも、この訳は、まだまだ第8稿まで多くの方々の目をくぐりぬけなければなりません。ですから、最終的には「アダムの子らよ」ではなく、「人の子よ」という訳に落ち着くのかもしれません。

私個人としては、翻訳者委員会に上がってきたこの訳のほうがいいように思います。その理由は4つあります。

この節は、新共同訳で2回「人」という訳が出てきます。ところが、この2つの原語は違います。「人を塵に返らせる」という部分はエノーシュです。「人の子よ」という呼びかけの「人」はアダムです。隣接する原語が違うのだから、訳は同じにしてしまわないで、変えたほうがいいのではないかと思います。2つ目の理由としては、「人」と訳すよりも、「アダム」にしたほうが原語に近い、というより原語と同じということがあります。3つ目は、ダニエル書や新約聖書では「人の子」は特別な意味になるので、それとの混同をできるだけ避けた方がよい。そして4つ目は、ここが大事なのですが、この箇所は創世記の3章19節、アダムが禁断の木の実を食べたので神様からお叱りをうける、そのお叱りの言葉と関連しています。創世記3章19節「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。/お前がそこから取られた土に。/塵にすぎないお前は塵に返る。」――この言葉と関連しています。聖書では聖書の他の箇所を思い起こさせることがとても大事です。聖書というのは、聖書の中の他の書、他の箇所と連想や関連によって網の目のようにネットワークが張られている世界とも言えます。ですから、詩編のこの箇所が創世記3章19節と関連していることを読者により印象付けるために、ここは「アダム」と訳した方がいいのです。

皆様はどう思われますか?

私たちは翻訳の様々な過程で、このようなことをいろいろ考えながら訳語を検討しております。その一例をご紹介させていただきました。

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