新翻訳事業について

聖書事業懇談会 新しい聖書翻訳の課題と展望 樋口 進氏

樋口 進氏
2014年5月22日
於:毎日インテシオ

Ⅱ、聖書翻訳の難しさ

どんな聖書翻訳も、完璧なものはありません。立場や考え方の違いによって、批判はつきものです。原文に忠実だと日本語で分かりにくいことがあり、日本語で分かりやすいと原文から離れてしまうことがあります。

聖書は、キリスト者にとっては、非常に重要な書であり、影響力も非常に大きいので、訳語が変わると、影響力も大きいと思います。口語訳が出来た時、文語訳に親しんでいた人の多くは違和感を感じたでしょうし、また新共同訳が出来た時、口語訳に親しんでいた多くの人は、違和感を感じたでしょう。書名でも「伝道の書」が「コヘレトの言葉」と、「使徒行伝」が「使徒言行録」となって、違和感を覚えた人も多くいたでしょう。

聖書にちなんで名前を付けた人が、新しい聖書にその語がなくなった場合、失望する事もあるでしょう。詩篇23:2の「いこいのみぎわ」から「みぎわ」という名を付けたけれども、新共同訳では「憩いの水のほとり」と訳され、「みぎわ」がなくなったことに失望を覚えたということを聞きます。私自身も、長女が生まれた時、イザヤ書40:31の「主を待ち望む者は新しい力を得」という聖句から「待子」とつけたのですが、新共同訳では「主に望みをおく人は新たな力を得」と訳され、「待つ」という語が無くなり、少しがっかりしました。

旧約聖書はヘブライ語(一部アラム語)で、新約聖書はギリシア語で、書かれ、時代背景も、社会制度も、宗教的背景も、非常に異なるので、本来原語で意味していたことが正確には分からない場合も多くあります。また、原語で意味していたもが、現代において何を意味するかも分からない場合も多くあります。また、動植物や宝石などの語や祭儀用語や病気の名が現代の何と同定されるのかも難しい場合が多くあります。例えば、エゼキエル書1:16にタルシーシュという宝石が出てきますが、これを新共同、フランシスコ、新改訳では「緑柱石」と訳されていますが、口語訳やNIVでは「貴かんらん石」と訳されています。岩波訳では同定がむつかしいということで、「タルシシュ石」と原語の音訳で記されています。

また祭儀用語の訳も難しい場合があります。レビ記1-5章において、口語訳で「燔祭」「素祭」「酬恩祭」「罪祭」「愆祭」と訳されていた語は、新共同訳ではそれぞれ「焼き尽くす献げ物」「穀物の献げ物」「和解の献げ物」「贖罪の献げ者」「賠償の献げ物」と訳されましたが、これでもなかなか意味が分かりにくいでしょう。また、ヘブライ語でツァーラアト、ギリシア語でレプラと言われている語は、口語訳では「らい病」と訳されていましたが、これはハンセン病患者に対する差別語だとして、新共同訳では「重い皮膚病」と訳されました。しかし、これは現代の病名との同定はむつかしいということで、岩波訳でも新改訳訳でも、原語の「ツァーラアト」そのままで表記されました。

また、原語の比喩的表現を直訳しても、その意味する所を伝えられない場合も多くあります。例えば、エゼキエル書4:16に「パンの棒を折る」という表現が出てきますが、これが一体何を意味するのかは、正確には分かりません。また、エゼキエル書7:17に「膝は水のようになる」と言う表現が出ますが、これは「失禁する」ことなのか「力がなくなる」ことなのかよくは分かりません。

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