新翻訳事業について

日本聖書協会 講演会 原文の味・訳文の味 柊 曉生氏

柊 曉生氏
2015年3月6日
於・フクラシア東京ステーション

(2)方位(申命記3章27節)

「ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。」(新共同訳)
「ピスガの頂に登り、目をあげて西、北、南、東を望み見よ。」(口語訳)

四つの方位をまとめて、日本語では「東西南北」、中国語では「東南西北」、英語では「北南東西」と言われます。しかしながら、聖書でこの四つの方位が一緒に出てくる場合、その順序を無視して熟語として訳してしまっては、原文が述べようとしている的確な意味を見失う場合があります。

申命記3章23-29節の中に、モーセと神との対話があり、そこで四つの方位が出てきます。「どうか、わたしにも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください。しかし主は、あなたたちのゆえにわたしに向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主はわたしに言われた。『もうよい。この事を二度と口にしてはならない。 ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい。ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。』」(新共同訳)

ここで神はモーセに対して、ヨルダン川の東側にあるピスガの山頂から見渡すことを言われます。まず最初に、約束の地があるヨルダン川の西(海)に目を向けるようにと言われ、次に北、そして南、最後に東と続けられます。最初に見るのは、何よりもこれから入ってゆくであろう約束の地の西なのです。ですからここはやはり原文通り「西北南東」と訳すのが妥当であるでしょう。

(3)金銀(詩編115:4)

「国々の偶像は金銀にすぎず 人間の手が造ったもの。」(新共同訳)
「彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。」(口語訳)

日本語ではふつう「金と銀」あるいは「金銀」という順で言いますが、旧約聖書の原文では、「金と銀」の順もありますが、「銀と金」の順が多くあります。

詩115:4は原文では、「銀と金」の順で、「金と銀」の順ではありません。オリンピックのメダルが金銀銅であるように、最初に来るのはふつうその価値からして金ですが、なぜ聖書で銀が先に来るのか。その当時は銀の方が価値が高かったのか、銀が金銭として用いられることとの関係か、あるいは音韻の理由によるものか、よくわかりません。「左右」を「みぎひだり」、「東西」を「にしひがし」、「夫婦」を「めおと」などと言うのとは少し違うように思われます。

口語訳聖書は、詩編115:4を「しろがねとこがね」と原文どおりの順で訳しています。口語訳聖書は、原文が「銀と金」の場合、「金銀」と訳す場合が多くありますが、散文では「銀と金」と訳すことがあるのに対し、詩文に限って「しろがねとこがね」と訳すことがあります。それはおそらく、「 しろがね くがね も玉も 何せむに まさ れる たから 子にしかめやも」(「万葉集」山上憶良)の歌にならったのではないかと考えられます。ただ今の時代では、「しろがね」や「こがね」と訳すのには無理があるように思われますがどうでしょうか。

これを英訳万葉集では “What use to me The silver, gold and jewels? No treasure can surpass children.”と訳しています。日本語は音節の数が、五七五七七ですが、英語訳では単語の数が、四五五となっています。日本語の音節数をそのまま英語に翻訳することはできませんから、せめて単語数でときれいに配分して訳しています。

「歌をよむ」の「よむ」は元来、「数える」をあらわしていた動詞であろうと言われていますが、昔は五七五七七と区切りをつけ声をあげて朗唱していたのでしょう。

このページに関するお問合せは
一般財団法人 日本聖書協会 翻訳部
〒 104-0061  東京都中央区銀座 4-5-1
TEL.03-3567-1989  FAX.03-3567-4436  E-mail. transl@bible.or.jp

ページの先頭に戻る

1997-2014(c)Japan Bible Society, Allrights reserved.  当サイトに掲載されている情報の無断転載を禁止します。