新翻訳事業について

日本聖書協会 講演会 「それでも新聖書翻訳」 津村 春英氏

津村 春英氏
2015年4月10日
於・梅田スカイビル・タワーイースト

3.用語の解釈
1)ヨハネ黙示録1:15;2:18 真鍮brassか青銅bronzeか?

青銅は銅と錫の合金であり、真鍮は銅と鉛の合金であるが、歴史的には青銅の方が古く、青銅は紀元前3000年頃、初期のメソポタミア文明であるシュメール文明で発明されている。また、イラン高原は、銅と錫が豊富であったと言われている。ヨハネ黙示録1:15と2:18 のみに、カルコレバノンが出ていて、レバノンのカルコス(銅)とも読める。 バウアーの辞典にはレバノンの一つの金属であったという説が紹介されている。

参考までに、新共同訳では黙示録 18:12 カルコス(青銅)、その他カルコスが出て来るのは、マタイ10:9 に、クリュソス(金貨), アルギュロス(銀貨)とともに、カルコス(銅貨)、平行記事のマルコ6:8 カルコス( かね ?)、なおもうひとつの平行記事のルカ9:3ではアルギュリオン(銀貨); マルコ12:41カルコス( かね ?)、その平行記事のルカ21:1-4では、レプトン銅貨2枚); コリント一13:1カルコス(どら)、マルコ 7:4カルキオン(銅の容器)となっている。

ちなみに日本の硬貨は、10円:銅95と鉛4-3と錫2-1%、5円:銅60-70と鉛40-30%=真鍮、50, 100, 500円は白銅:ニッケル25%との合金である。

新共 15 足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
新改 15 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。
口語 15 その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。
文語 15 その足は爐にて燒きたる輝ける眞鍮のごとく、その聲は衆の水の聲のごとし。
フラ 15 足は、炉の中で精錬され磨かれた真鍮のように輝いていて、声は大水のとどろきのようであった。
岩波 15 その足といえば、まるで炉の灼熱で精錬されたもののような、つやのある真鍮に似ており、その声といえば、大水の轟きのようであった。
NRS89 15 his feet were like burnished bronze, refined as in a furnace, and his voice was like the sound of many waters.
Cf. 真鍮brass
2) ルカ23:26 キレネ人シモンが出て来たのは、田舎からか、畑からか?

キレネ人シモンが出て来たのは田舎からか、畑からか?エルコメノン アプ アグル―「田舎から」出て来たという表現から何を連想するか?ここはむしろ、「畑から」ではないかと思われる。ちなみに23:26以外でルカ福音書において、アグロスの複数形は、8:34村里; 9:12村里; 15:15畑に(やって豚を飼わした)、単数形は、12:28野に(あって明日は炉に投げ込まれる); 14:18畑; 15:25畑(兄が畑にいた); 17:7畑, 31畑、と訳出されている。なお、ルカ23:26の平行記事はマルコ福音書15:21にあり、また、マルコでは、11:18野原から、13:16畑にいる者は、16:12田舎の方へ歩いて行く(ただし、ここは、写本上追加されたとみなされる個所で、ルカ版の「村」)と訳出されている。

新共 26 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
新改 26 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。
口語 26 彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。
文語 26 人々イエスを曳きゆく時、シモンといふクレネ人の田舎より來るを執へ、十字架を負はせてイエスの後に從はしむ。
フラ 26 さて、イエスを引いていく途中、兵士たちは、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を担わせ、イエスの後から運ばせた。
岩波 26 そして彼らが彼を引いて行った時、キュレネ人シモンという者が野からやってきたのをつかまえて、彼に十字架を負わせ、イエスの後から担って来るようにさせた。
田川 26 彼を引いていく時、キュレネ人シモンなる者が畑から帰って来るのをつかまえて、十字架を担わせ、イエスの後からついて行かせた。  
NRS89 26 As they led him away, they seized a man, Simon of Cyrene, who was coming from the country, and they laid the cross on him, and made him carry it behind Jesus.
3) ルカ10:25-37  善いサマリア人 の心の思い

ルカ福音書10:25-37のいわゆる「善いサマリア人」のたとえは、あまりにも有名な個所である。ここに出てくるギリシア語で33節のスプランクニゾマイ(憐れに思う:内臓という言葉から派生した語)と37節 ホ ポイエーサス ト エレオス メト アウツー =人(行った+憐れみを+彼に)をどう訳するかが問題である。このサマリア人は上から目線で、傷ついた人を憐れんだのではない。また、聞いていた律法の専門家に心の動きがあったとすると、37節は、「その人に思いやりを尽くした人です」という訳ではどうであろうか。

新共 37 「その人を助けた人です。」
新改 37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」
口語 37 「その人に慈悲深い行いをした人です」。
文語 37 『その人に憐憫を施したる者なり』
フラ 37憐れみを施した人です」
岩波 37 「彼に憐れみ(の業)を行った人です」。
田川 37 「その人に慈善を施した人物ですよ」。
NRS89 37 “The one who showed him mercy.”
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