新翻訳事業について

聖書事業懇談会 新聖書翻訳の魅力―旧約詩文学を実例として― 小友 聡氏

小友 聡氏
2016年3月4日
於:大会議室(名古屋市)

3. 新共同訳聖書の課題を越えて

ここで、もう一度、新共同訳の特性を確認しておきます。新共同訳がカトリック・プロテスタント両教会の礼拝で用いられる最初の日本語訳聖書であることは言うまでもありません。口語訳聖書より読みやすくなり、しかも礼拝で朗読されるに適した聖書になったということです。1987年の出版に至るまでに16年という歳月が費やされました。

新共同訳の特性についてさらに重要なことは、正真正銘の原典訳聖書だということです。新共同訳の旧約は、Biblia Hebraica Stuttgartensiaを底本として、これを翻訳しました。口語訳聖書は戦後に翻訳されましたが、原典からの直接の翻訳ではありませんでした。英語のRSVを基調としています。それ以前の文語訳は名訳の誉れ高いものですが、やはり英語の欽定訳KJVに従っています。新共同訳は、そういう意味では、最も信頼できる日本語聖書だと言うことができます。けれども、そこには、一つの大きな問題があります。それは、翻訳理論の問題です。新共同訳聖書翻訳事業には前史があり、「共同訳新約聖書」(1978)がまず出版されました。この「共同訳」の際に取り入れた翻訳理論がdynamic equivalence「動的対価理論」というものでした。つまり、直訳ではなく意訳的な訳法を取り入れたのです。その後、新共同訳の事業に転換することによって、この翻訳理論は転換を余儀なくされました。意訳的性格は払拭され、字義的翻訳に近付けられました。けれども、「新共同訳」(旧約)には当初の翻訳理論の残滓がいたるところに見られます。それは特に詩文学に顕著です。動的対価翻訳理論は、原語の意味をきちんと捉えて、それを動的に、ダイナミックに翻訳するのですから、聖書翻訳としてはとても意義ある方法です。この訳法による新共同訳の訳文はみごとなものです。意味がよくわかり、よみやすいのです。けれども、意味がよくわかるということは必ずしも原典に忠実であるということではありません。わかりやすくするために、もともとない言葉を補ったり、そのまま直訳しても十分に意味が通るにもかかわらず、不必要に説明を加えるという箇所が散見されます。たとえば、雅歌6:6です。

雅歌6:6
「歯は雌羊の群れ。毛を刈られ
洗い場から上って来る雌羊の群れ。
対になってそろい、連れ合いを失ったものはない。(新共同訳)

この節は、新共同訳では4:2とまったく同一です。けれども、原典では6:6に「毛を刈られ」がありません。新共同訳は4:2との並行を意識するあまり、原典にはない「毛を刈られ」を付け加えて、4:2と6:6を無理やり同一に訳しているようです。これは改善させるべき課題ではないかと思います。

また、上記の例とは逆に、新共同訳は原典を省略することもあります。たとえば、ダニエル書11:1に注目してみます。

ダニエル11:1
「彼はわたしを支え、力づけてくれる。」(新共同訳)
「わたしはまたメデアびとダリヨスの元年に立って彼を強め、彼を力づけたことがあります。」(口語訳)

新共同訳と口語訳を比べて訳し方がずいぶん異なることに気づかせられます。ヘブライ語原典に忠実なのは口語訳の方で、新共同訳は恣意的な省略と読み替えをしています。原典通り、「メデアびとダリヨスの元年」だとすると、9章1節と同じ時代になってしまうので、新共同訳はその矛盾を避けたかったのでしょう。それによって、ダニエル書が読みやすくなるのは確かです。けれども、このような判断は余計な穿鑿ではないかと私には思われます。やはり原典に忠実であるべきでしょう。

新しい翻訳聖書はこういう新共同訳の課題を把握した上で、原典の息吹をふさわしい日本語できちんと表現することを目指しています。言い換えると、新共同訳がひとたび開いた道を辿って、訳文をさらに原典に近付けるという方向です。もちろん、原典のニュアンスに近い日本語を探しても、それが日本語としてきちんと意味が通り、礼拝での朗読に耐えうるものでなくてはなりません。そのために日本語担当者との共同作業において、多くの時間をかけ、最もふさわしい言葉を探し続ける闘いがなされます。

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