新翻訳事業について

聖書事業懇談会 新聖書翻訳の魅力―旧約詩文学を実例として― 小友 聡氏

小友 聡氏
2016年3月4日
於:大会議室(名古屋市)

4. 新しい翻訳聖書の魅力

それでは、これから詩文書において具体的に新訳を提示して、読み比べをしてみたいと思います。まず、コヘレトの言葉から。

(1) コヘレトの言葉11:1-10

<新共同訳>

  1. あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。
    月日がたってから、それを見いだすだろう。
  2. 七人と、八人とすら、分かち合っておけ
    国にどのような災いが起こるか
    わかったものではない。
  3. 雨が雲に満ちれば、それは地に滴る。
    南風に倒されても
    木はその倒れたところに横たわる。
  4. 風向きを気にすれば種は蒔けない。
    雲行きを気にすれば刈り入れはできない。
  5. 妊婦の胎内で霊や骨組みがどの様になるのかも分からないのに、
    すべてのことを成し遂げるられる神の業が分かるわけはない。
  6. 朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。
    実を結ぶのはあれかこれか
    それとも両方なのか、分からないのだから。
  7. 光は快く、太陽を見るのは楽しい。
  8. 長生きし、喜びに満ちているときにも
    暗い日々も多くあろうことを忘れないように。
    何が来ようとすべて空しい。
  9. 若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。
    青年時代を楽しく過ごせ。
    心にかなう道を、目に映るところに従って行け。
    知っておくがよい
    神はそれらすべてについて
    お前を裁きの座に連れて行かれると。
  10. 心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。
    若さも青春も空しい。

<新訳(案)>

  1. あなたのパンを水面(みなも)に投げよ。
    月日が過ぎれば、それを見いだすからである。
  2. あなたの受け取り分を七つか八つに分けよ。
    地にそのような災いが起こるか
       あなたは知らないからである。
  3. 雲が満ちれば、雨が地に降り注ぐ。
    木が南に倒れても、北に倒れても
    その倒れた場所に木は横たわる。
  4. 風を見守る人は種をまけない。
    雲を見る人は刈り入れができない。
  5. あなたは風の道がどうなっているかも知らず
    妊婦の胎内で骨がどのようにできるかも
       知らないのだから
    すべてをなす神の業など知りえない。
  6. 朝に種を蒔き
    夕べに手を休めるな。
    うまくいくのはあれなのか、これなのか
    あるいは、その両方なのか
       あなたは知らないからである。
    造り主を心に刻め
  7. 光は快く、太陽を見るのは心地よい。
  8. 人が多くの年月を生きるなら
    これらすべてを喜ぶがよい。
    しかし、闇の日が多いことも思い起こすがよい。
    やって来るものはすべて空(くう)である。
  9. 若者よ、あなたの若さを喜びなさい。
    若き日にあなたの心を楽しませなさい。
    心に適(かな)う道を
       あなたの目に映るとおりに歩みなさい。
    だが、これらすべてについて
       神があなたを裁かれると知っておきなさい。
  10. あなたの心から悩みを取り去り
    あなたの体から痛みを取り除きなさい。
    若さも青春も空だからである。

新共同訳の訳文については、すでにこれに親しんできた私たちには説明は不要かも知れません。新共同訳は8節までを区切りと見て、また10節も区切りと見るようです。いずれの段落も「空しい」で終わるからです。「空しい」という厭世的な結論で終わるゆえに、1-8節も「分かったものではなない」(2節)、「蒔けない」「できない」(4節)、「分からない」「分かるわけはない」(5節)、「分からないのだから」(6節)、という懐疑的表現が強調される訳し方がされています。確かに、1970年代までは、著者コヘレトは世をはかなむ厭世主義者で懐疑主義者と見なされ、「コヘレトの言葉」は支離滅裂な論調で書かれている、というような解釈がされていました。1987年出版の新共同訳もそういう方向で翻訳されています。7節の明るい表現も懐疑的な文脈の中に埋没してしまい、懐疑主義者コヘレトの姿が浮き彫りにされます。「コヘレトの言葉」全体が支離滅裂な格言の羅列であるゆえに、小見出しも付けられないという判断がされたようです。実際また、私たちもそのように「コヘレトの言葉」を読んできました。けれども、現在では、「コヘレトの言葉」は一貫した思想的論調の書として解釈されるようになりました。新訳もその線で訳されます。訳文を比べるとおわかりになるはずです。

そこで、新訳をご覧ください。文節は1-6節、7-8節、9-10節と分かれます。7節の「光」「太陽」は12章2節と対応して囲い込み(インクルージオ)、11:7~12:2が一つの段落を構成します。この7節から段落が変わるので、「造り主を心に刻め」という小見出しをつけました。11:1-6を見てみましょう。この1-6節は一つの段落を構成します。新訳では、1-6節の否定的表現については、ヘブライ語の接続詞キーに注目し、きちんと「~からである」と訳されています。「知らない」(2節)、「知らない」(6節)はコヘレトの否定的な結論ではなくて、むしろ理由や根拠を説明しているのです。コヘレトの結論は「あなたの受け取り分を七つか八つに分けよ」(2節)、「朝に種を蒔き/夕べに手を休めるな」(6節)という命令です。地に災いが起こるかも知れないからこそ、受け取り分(神から与えられているもの)を皆で分け合いなさい。どの種が実を結ぶかわからないからこそ、朝から晩まで手を抜かずに徹底して種を蒔きなさい、ということです。不可知性が逆に行動の根拠となるのです。コヘレトは懐疑主義者なのではなく、将来がどうなるかわからないからこそ、逆に、今、最善を尽くし、とことんまでやりなさい、と言っているわけです。コヘレトはすべてが「空しい」と考える厭世主義者では決してありません。ですから、ヘブライ語のヘベルは新共同訳のように「空しい」と訳されるより、口語訳のように「空」と訳される方がむしろ適切であって、新訳でもそう訳されています。コヘレトは現実主義者ですが、したたかで、終わりである死を前にしても前向きに考える傾向を持っています。それが、原典通りに新訳に反映され、11:7~12:2という次の段落からもそれを読み取ることができます。

さらに、新訳では注も付けられます。5節の「風」に注がついていて、脚注に「別訳で「霊」」と記されます。新共同訳では「霊」と訳されていたからです。これは直前にある4節の「風」と同じヘブライ語ですから、「霊」よりも「風」と訳されるべきと判断されます。いずれにしても、新訳は新共同訳よりも、原典に即してコヘレトの言葉の重要なニュアンスをきちんと生かし、そこから意味を汲み取ることができるような翻訳がされていると思います。

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