新翻訳事業について

聖書事業懇談会 新聖書翻訳の魅力―旧約詩文学を実例として― 小友 聡氏

小友 聡氏
2016年3月4日
於:大会議室(名古屋市)

(5) 雅歌3:1-4

<新共同訳>

  1. 夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても
    求めても、見つかりません。
  2. 起き出して町をめぐり
    通りや広場をめぐって
    恋い慕う人を求めよう。

    求めても、あの人は見つかりません。
  3. わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
    「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
  4. 彼らに別れるとすぐに
    恋い慕う人が見つかりました。
    つかまえました、もう離しません。
    母の家に
    わたしを産んだ母の部屋にお連れします。

<新訳(案)>

  1. 夜毎に寝床で、わたしの魂を愛する人を探しました。
    あの方を探しましたが、見つかりませんでした。
  2. 「さあ起き出して、町を、通りや広場を巡りましょう。
    わたしの魂の愛する人を探しましょう。」
    わたしはあの方を探しましたが、見つかりませんでした。
  3. 町を巡る夜警たちがわたしを見つけました。
    「わたしの魂の愛する人をあなたたちは見かけましたか。」
  4. 彼らに別れを告げるとすぐ、わたしの魂を愛する人は見つかりました。
    この方を抱きしめました。もう放しません。
    わたしの母の家に、わたしを身ごもった人の部屋に、お連れします。

新共同訳は、「恋い慕う人」を「求める」という恋愛詩として表現しています。すでに述べたように、今日、雅歌は宗教性をまったく保持しない恋愛歌だと説明する解釈は一般的ではあります。けれども、新訳はあくまで宗教性を重視し、「わたしの魂を愛する人」を「探す」という訳文にしました。「わたしの魂を愛する人」(口語訳では「わが魂の愛する人」)の繰り返しを省略せず、原典通りに訳しています。これについては、口語訳に戻ったという印象を持つ人もいるでしょう。礼拝で朗読されるに適した訳文にしようとすると、確かに口語訳も無視することはできません。この箇所では、「探す」という動詞が4回繰り返され、「見つける(=見かける)」という動詞は5回繰り返されます。雅歌の著者はいわば言葉の追いかけっこをしているのですが、その原文の息遣いをそのまま日本語で表現する努力がされています。ちなみに、新共同訳の「ふしど」(1節)は文語でわかりにくいため、新訳では「寝床」としました。

(6) 雅歌5:1b

<新共同訳>

友よ食べよ、友よ飲め。
愛する者よ、愛に酔え。

<新訳(案)>

恋人たちよ、食べて飲みなさい。
愛する者たちよ、酔いなさい。

この新共同訳の訳文もすでに定着しています。けれども、新共同訳で「友よ」と訳されるヘブライ語は、先に引用した1:9の「恋人よ」の複数形であって、しかも呼びかけは一度だけですから、新訳は原典通りに「恋人たちよ、食べて飲みなさい」と訳しました。また、「愛に酔え」(新共同訳)は意訳で、「酔え」という命令形に目的語はありません。「愛に酔え」というように愛をことさら強調する訳し方は読み込み過ぎではないでしょうか。すでに定着した訳文ではありますが、新訳はそれを修正しています。

最後にヨブ記の新訳を紹介します。ヨブ記はまだ全体的な話し合いがされていませんので、あくまで新訳の原案としてご理解ください。

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