新翻訳事業について

聖書事業懇談会 新聖書翻訳の魅力―旧約詩文学を実例として― 小友 聡氏

小友 聡氏
2016年3月4日
於:大会議室(名古屋市)

(7) ヨブ記19:21-27

<新共同訳>

  1. 憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ
    神の手がわたしに触れたのだ。
    あなたたちはわたしの友ではないか。
  2. なぜ、あなたたちまで神と一緒になって
    わたしを追い詰めるのか。
    肉を打つだけでは足りないのか。
  3. どうか
    わたしの言葉が書き留められるように
    碑文として刻まれるように
  4. たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され
    いつまでも残るように。
  5. わたしは知っている
    わたしを贖う方は生きておられ
    ついには塵の上に立たれるであろう。
  6. この皮膚が損なわれようとも
    この身をもって
    わたしは神を仰ぎ見るであろう。
  7. このわたしが仰ぎ見る
    ほかならぬこの目で見る。
    腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。

<新訳(案)>

  1. わたしを憐れに思え、憐れに思え、あなたたち、わが友よ。
    神の手がわたしを撃ったのだから。
  2. なぜあなたたちは神のように、わたしを追い詰めるのか、
    わたしの肉で飽き足らないのか。
  3. どうかわたしの言葉が書き留められるように、
    どうか碑文に刻まれるように。
  4. 鉄の筆と鉛によって、
    永遠に岩に彫り込まれるように。
  5. わたしは知る。
    わたしを贖う者は生きておられ、後に塵の上に立たれることを。
  6. わたしの皮がこのように剥ぎ取られた後、
    わたしは肉を離れて、神を見るであろう
  7. このわたしが仰ぎ見る、
    ほかの者ではなく、このわたしの目で見る。
    わたしのはらわたは、わたしのうちで慕い焦がれる。

この箇所はヨブ記では最も有名なところです。暫定訳である以上、多くを語ることはできませんが、これまでの新共同訳の訳文を尊重した上で、新たな判断をした訳文となっています。重要なことは、解釈上論争のある26節の「この身をもって」(新共同訳)を「わたしは肉を離れて」としたことです。口語訳に戻しました。文語訳以来、伝統的にそのように訳されてきました(岩波訳も「わが肉なしに」)。どちらの訳も可能ではありますが、ヨブの友人たちが肉にこだわる以上、ここは22節の同一表現「わたしの肉で」とは区別され、「肉を離れて」と訳す方が自然ではないかと思います。ただし、新共同訳の訳文に親しんでいる方も多いので、これには注を付け、脚注に「別訳で「肉から」」と記しました(新改訳も「肉から」)。もう一ケ所、27節の新共同訳の訳文「腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る」は意訳です。新訳が原典通りです。ただし、「慕い焦がれる」と訳すべきか、「絶え入る」と訳すべきかで見解が分かれます。前者は肯定的な意味ですが、後者は否定的な意味になります。新共同訳は両方を取り入れる折衷的な意訳!をしました。新訳は、「慕い焦がれる」という肯定的な訳語を選びました(口語訳は「これを望んでこがれる」)。これについても、注を付け、脚注に「別訳は「絶え入る」」と記しました。新しい翻訳は教会で安心して読んでいただけることを重要なことと考え、意訳や付加的潤色(24節の新共同訳「黒々と」は付加的潤色)を避けると同時に、わかりやすい翻訳をしています。

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