新翻訳事業について

聖書事業懇談会 文化を超えて聖書の行間(神のマイナンバー制度) 浦野 洋司

浦野 洋司氏
2016年3月11日
於:メルパルク横浜

3. 翻訳中の遭遇した事例・新翻訳の一側面
ヘブライ語アピックの訳語・川床と涸れ谷

私の大好きな讃美歌21 131番では「谷川の水を求めて あえぎさまよう 鹿のように 神よ、私はあなたをしたう」と歌います。これは詩編42編2節「神よ、(ヘブライ語で)アピックに鹿が水をあえぎ求めるように わたしの魂はあなたを慕い求めます」に基づいております。 このアピックが本当に日本語の「谷川」と一致するかどうかです。違うとなれば、ニュアンスは多少とも原典と変わって来るはずです。国語辞典によれば、谷川とは谷間の川、つまり渓流のことで、チョロチョロとでも水が流れていることを前提としております。一方、ヘブライ語の辞書でアピックをみると、アラビア語でいうワディ、英語でRAVINEとも訳され、ユダの乾燥した砂漠地域にある川の底で雨期には強い雨で激流となる場所を意味します。つまり通常は水がなく乾燥、雨期には水が岩を削り全体が谷のようになっている場所を指します。鹿が喘ぎさまようのはチョロチョロ水があるからではなく、「全く」水のないところを喘ぎさまようということになります。

谷川の代わりに「川床」と訳されることもありました。私も初め、何も疑問を感じていませんでしたが、川床の意味をよく調べてみて大きな不都合があることが判明しました。川床とは河水の流れる地面、川の水底の面、河床(かしよう)とも読みます(広辞苑)。例えば、日本語の文章で「一年の大部分は川床が乾燥する」とか、「客車7両は最終的にぬかるんだ川床に落下した」などと使います。つまり、日本語の川床は水があって、ジメジメと湿っていても川床なのですが、これは明らかにアピックとは別です。それで、新翻訳ではこれを「涸れ谷」と訳しました。エゼキエル書に多く出る(6章3節、31章12節、32章6節、34章13節、35章8節、36章4、6節の7ケ所)のですが、興味深いのは36章4と6節で以下の4語が出ます。ハール「山」とギブア「丘」に、アピック「涸れ谷」とガユ「谷」、要するに文脈から明白ですが、全部が「水のない」場所なのです。

パンとハン(飯)

エゼキエル書4章16節に「人の子よ、見よ、わたしはエルサレムで(ヘブライ語直訳で)パンの棒を折る」という箇所があります。通常後半部は「パン(食料)の蓄えを絶つ」とか「パン(食料)の供給を断つ」などと訳されています。パンはヘブライ語でレヘム、ギリシア語でアルトスですが、このレヘム、アルトスは今例に挙げたエゼキエル書だけでなく、マタ6章11節、ルカ11章3節の「主の祈り」の「日ごとの糧」からも分かるように、単なる食べ物としてのパンではなく「食糧/糧」を意味しています。

大変興味深いことに日本語の「ご飯」がこれにぴったり対応しています。尚且つ、パンとハン(飯)で音も似ているところは更に面白いと思います。パンも、ハンも、単に食事をすること以上に、生計を立てる、生きる要という深い意味合いがあります。日本語の「めし」は元々「召しあがる」の名詞化で、室町時代では食べ物一般を「めしもの」と言い、これが江戸時代後期に簡略化され「めし」となったのだそうです。「めしの食い上げ」とは「生活をするための糧が取り上げられ、または失う」こと、逆に「食いっぱぐれがない」とは生活や収入が安定し、失業の心配のないなどのことです。「音楽で飯を食う」とは音楽を聞きながら食事をすることではなく、楽器演奏家、声楽家、芸能人、歌手などの生活のことです。

さて、主の祈りの「日ごとの糧」に相当するギリシア語アルトン・エピウシオン後半の形容詞、エピウシオスは聖書でここだけに出る極めて珍しいことばで、その元の意は不明だそうです。エピは前置詞で「上」とか「越える」、またウシオスは「実体、存在物」を指します。ウルガタ訳ではpanem nostrum “supersubstantialem” da nobis hodieとあり、物的な実体を越えた存在、超自然のものなどと解釈できますが、ギリシア語の直訳、造語のようにも思われます。
   伝統的に以下5つの可能性が挙げられていますが、真に深みのある重いことばであることが分かります。即ち、

  • 1)  聖体を指し、その関連でいう霊的な糧 (ギリシア、ラテン教父など)
  • 2)  日毎のパン、日ごとの糧という解釈(特にヨハネ・クリゾストモス)
  • 3)  明日、将来の糧(聖ヒエロニムス)
  • 4)  超自然の糧、恵み(聖ヒエロニムス)
  • 5)  生存に必要な総てのよきものなどです

ヘブライ語の現代語訳をみると「日ごとの糧」を「レヘム・フッケーヌ」と訳しております。これは「神が人に与えようとしている糧」「神が定められる糧」「神が私たちに食べてほしいと願っている必要な糧」などなどの意があるそうです。換言すれば、「神から受けるべきものとして我々のために定められた糧」とか「神とのかかわりにおいて、神が決めておられる大切なこと、神が望んでおられる、永遠のいのちに至るため必要なメッセージ」などという解説もあります。これは本日の行間のメッセージと関わるもので、再度触れたいと思います。

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