新翻訳事業について

聖書事業懇談会 文化を超えて聖書の行間(神のマイナンバー制度) 浦野 洋司

浦野 洋司氏
2016年3月11日
於:メルパルク横浜

2)最後の晩餐の食事はどんなであったのか

次に、最後の晩餐に目を向けてみます。その記事はマタイ26章20~30節、マルコ14章17~26節、ヨハネ13章21~30節、一コリ11章23~25節などに出ますが、マタイ26章20節は「さて夕方になると彼は12人と一緒に食事の席に着いた(ギリシア語動詞はアナケイマイ)」とあります。ここでも、聖書そのものには13人がどのような席とテーブルでいかに食事をしていたのか全く情報がありません。私たちが想像する最後の晩餐の構図はダ・ヴィンチの絵画の影響が大きいのでしょうが、前面には誰も座らずに空席という不思議な会食になってはいないでしょうか。これが虚構であることが同じ食卓の記事、罪の女がイエスとファリサイ人の食事をしている席にやって来た件、ルカによる福音7章38節「そして、イエスの背後に立ち、イエスの足もとで泣きながら、その涙でイエスの足をぬらし始めた」から分かるのです。

ポイントは一つ前の36節にも出る動詞、「食卓に着く」(カタクリノマイ、カタケイマイ)という動詞と特別、注目すべきは「イエスの背後」と「足もと」という矛盾です。つまり、通常私たちは矛盾なしで読みますが、実は「足元」は前方であり、「背後」ではないので、ダ・ヴィンチと現代の感覚の椅子、食卓では実に大きな矛盾があるのです。

聖書時代の食事がどのようであったか詳細はここでは述べられませんが、聖書に出る用語を列挙してみましょう。デイプノンが夕食・午後の食事、アリストンは朝食・日中の食事(現代ギリシア語ではプロイノというそうです)、アルキトリクリノスは祝いの席の会場の責任者を指します。またアノテロスは上席、会食で栄誉の席、さらにプロトクリシアになると最上位置の席を指します。

問題は「動詞」です。アナケイマイ(アナクリノマイ)は「横になる」意で、カタケイマイとなると食卓よりも、主に病床で「横になる」意味になるようです。シュンアナケイマイは「ともに横になる」、またアナピプトも同じ意で、その他ケイマイ、クリノ、カタクリノなどすべて根本が「横に伏す」ことなのです。つまり、これが当時の食事スタイルということになります。それであるならば、(食卓で)横になっている状態では「足もと」も「背後」となり矛盾はありません。しかしながら、横になった最後の晩餐をイメージするのはなかなか難しいものがあります。

あるラビの教えによると、食卓で横になる際は背中や右側を下にしてはならず、必ず左側を下にし、食べ物は右手で食べ、また給仕は客人の足の後ろ側に控えるとの教えがあるそうです。1961年製作のハリウッド映画「ベンハー」は時代考証に優れこの食事法が忠実に再現してありましたが、ご記憶にある方もおられるかと思います。

  ルカ7章38新共同訳と新翻訳の微妙な相違

この箇所に関しては新共同訳と新翻訳には実は微妙な違いがあります。新共同訳では「後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし」となっていて、つまり、先ほどの前後、背後の矛盾を避けるために「後ろから」と「その足もとに寄り」とで「後から」前の足もとまで移動したという訳なのです。矛盾は解決しますが、この訳の難点は原語から外れ、ギリシア語には「から」や「近寄り」という動詞は存在せず、「近寄り」でなく「立った」(スターサ)なので、多分に「意訳」に近い訳になってしまう点です。

一方、新翻訳は「イエスの背後に立ち、イエスの足もとで泣きながら、その涙でイエスの足をぬらし」で矛盾は解消しないままですが、ギリシア語に極めて忠実な訳となっています。

このように、聖書には「書いてない」部分があり、ある場合はその大まかな表現のために詳細は不明のままです。私たちはこの不明な部分をダ・ヴィンチなどで代表される芸術家が与える情報などで補って読んでいるとも言えるのです。この新共同訳と新翻訳、二つの訳の背景には翻訳に関する難解な問題が潜んでいるといえます。つまり、意味内容が充分伝達されるためにはことばを補う必要がありますが、それが行き過ぎれば「意訳で不可」ということになります。聖書学者大野恵正氏は人口に膾炙される名訳は「意訳に近い」という発言をされていますが、どこまでが「意訳ではない」許容範囲の名訳なのかという判断となると極めて微妙で難解な問題になるでしょう。この箇所の新翻訳は、矛盾がそのまま残る訳となりましたが、ある意味矛盾のまま、闇に包まれた不思議な空白とでも言える余白部分が実に聖書の冥利かも知れません。つまり、聖書は簡潔な文言にも深い意味が濃く凝縮され、解釈者の想定や文化の期待による解釈によってみことばの真実の意味が初めて成立するとも言えます。この点を更にお話しましょう。

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