新翻訳事業について

聖書事業懇談会 文化を超えて聖書の行間(神のマイナンバー制度) 浦野 洋司

浦野 洋司氏
2016年3月11日
於:メルパルク横浜

3)聖書に書いてない最重要事、神からのメッセージ!

さて、行間、神のマイナンバーについて考えることにしましょう。聖なる聖書のことばには不思議な3つの次元があるとも言われます。即ち、

  • 1)  語句のそのものの意味。ヘブライ語やギリシア語など言語学の次元
  • 2)  聖書作家の意図したもの、人間である著者が伝えたかったメッセージ。特定文化から世界に開かれた普遍的な広い世界との格差、文学類型研究や歴史を踏まえた翻訳の意義が問われる次元
  • 3)  最後に、私たちが聖書のことばにふれるとき、神がそのときの私たちに伝えたいメッセージの次元(翻訳を踏まえ翻訳を超えた次元)

聖書の伝えるメッセージは新聞の情報やテレビなど現代メディアの情報と大きく違うところは、映像、音、動画などがなく、純全たることばだけによる伝達ということです。この世に生きる人間でありながら、ある意味この世を超える人間がこの聖書を読むのですが、恋人の名前やことばは単なる「文字以上の次元」があります。聖書も似ていて、ことばを越えた次元のことを本日最後に「行間」としてお話しております。その意味で神のことばは尽きることがないのです。書いてない内容はことばの奥にあります。真実の教えは隠れていて、神は聖書のことばを通じて、「そのとき」つまり、私たちが聖書のことばに触れるとき、そのとき伝えたいメッセージを私たちに伝えるのです。昔からこの「行間」を見せて下さるのは神の霊の働きといわれます。

「主の祈り」関連して「日ごとの糧」に相当するヘブライ語、レヘム・フケーヌについて先に触れました。その意味は「神が人に与えようとしている、神が定められた、神が私たちに食べてほしいと願っている必要な糧」ということでした。私たちは聖書のことばを通してこの意味で「日ごとの糧」を得る必要があるのです。

アビラの聖テレジア(1515~1582)はスペイン人で、カトリック教会の有名な神秘家ですが、その著書『完徳の道』の中で「天におられる私たちの父」のたった「父」ということばだけで長い時間の瞑想、観想の世界に入ったことが述べてあるそうです。つまり、聖書のことばを通して、そのことばを越えて話かけて下さる相手は私たちの父であり神であるという事実が強調されます。

以上を更に整理すると、聖書のことばはまず「コンデンスト」、凝縮されたことばであるということになります。つまり、文字の間に「文化を超えたメッセージ」があり、凝縮されたことばの書いてない部分をほぐす、解釈して奥を読んで初めて真の意味に到達するとも言えます。そして、私たちはこれを日本の文化の中、生きている自分の環境の中で読むのです。

次に聖書のことばは「コンティンジェント」です。コンティンジェントとは、パンを増やす奇跡と比ゆ的に合致しますが、文字面だけの固定した概念、固まった常識だけでは済まないということです。何々次第で、何々を条件として、ひょっとして起こるかも知れない、あるいは可能かも知れない、偶発的・・・そのような条件付きのことばということです。換言すれば、凝縮された文字が解かれていくのは「私たちの信仰次第」であって、受け取る側次第で内容が出て来るかも知れない、つまり、パンが増えるように聖書のことばも増えかも知れない。しかし、また信じなければ、増えないでそのまま残る、そのようなことばであるということになります。

最後に聖書のことばは「マイナンバー制度」のようです。更に換言すればそれは「オーダーメイド」であると言ってもよいでしょう。神は決して「十把一絡げ」の扱いをされないということです。最近、政府のマイナンバー制度では同じ番号が別々の人に届けられたなどという事故報告もされていますが、神のマイナンバー制度はそのようなことは決してありません。雑々を区別なしにひとまとめにして扱うような政府のマイナンバー制度と全く異なる神のマイナンバー制度です。同じ家族、同じ教会のメンバー、同じ職場でも一人ひとり特別のメッセージが準備されています。神は私たちキリスト者一人ひとり、その状況、経歴、そのさまざまな背景に合わせたアプローチをして下さいます。

「翻訳は祈りなしではできない」。これは私の元上司、新共同訳時代に重要な働きをされ、昨年正月に他界されたベルナルディーノ・シュナイダイー神父のことばです。私はこのような懇談会で先に講演をされた諸先生たちがその講演の最後に「祈り」に触れておられたということを発見しました。私はさすがだなあという印象を強く持ちました。つまり、単なる一翻訳者である以前に、一人の信仰者としてこの事業に携わっているのです。

私自身もこの講演の準備として神に祈りました。同僚にも祈りを依頼しました。亡くなった母や、お話しましたルシアン神父にも祈りました。是非、今日ここにお集まりになった皆さまも私たち翻訳者のためにお祈りください。この新翻訳事業が成功するために、特別、将来この新しい聖書を読むすべての人のためにお祈りください。そしてみなさん一人ひとりもこの聖書を通して行間に隠れている聖書の真意、一人ひとりに与えられている神のメッセージを読み取ることができますようにお祈りください。

イザヤ書45章15節には有名な「イスラエルの神、救い主よ。 まことに、あなたはご自分を隠される神」という件があります。ここでイザヤ書の深い釈義はできませんが、本日の話の流れの中で、神様は聖書の行間に隠れていると言ってもよいのではないでしょうか。終わりにユダヤ教ハシディム派のラビ、シュノイエル・ツァルマンが息子に語ったと伝えられるすばらしい「かくれんぼ」の比ゆ、伝承秘話で本日の講演を閉じたいと思います。

鬼ごっこをしていた子どもが泣きながら家に戻って来た。「お父さん、かくれんぼをしていて、とてもいい場所を見つけたんだ。とても良い隠れ場だったので、誰も僕を見つけられなかった。でも、そのうちに皆は僕には黙って遊びを終わりにし、家に帰ってしまった。僕は一人取り残されて、何時間も待っていたんだ」。 泣いている子どもに父親が優しく諭しました。「息子よ、神さまも同じだよ。神さまも上手に隠れている。人々が見つけてくれるのを待っている。誰も一緒に遊ぼうとしないから、いつも一人で取り残されている。一人残されて、誰も見つけてくれないから、だから神さまも泣いている!」

ご清聴ありがとうございました。

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