今日の聖句
2021年2月17日
灰の水曜日
ゆるし
信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。
何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。
食べる人は、食べない人を軽んじてはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてもなりません。神がその人を受け入れてくださったのです。
他人の召し使いを裁くあなたは、一体何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人次第です。しかし、召し使いは立つでしょう。主がその人を立たせることがおできになるからです。
ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。おのおの自分の考えに確信を持つべきです。
特定の日を重んじる人は主のために重んじます。食べる人は主のために食べます。神に感謝しているからです。また、食べない人も主のために食べません。神に感謝しているからです。
私たちは誰一人、自分のために生きる人はなく、自分のために死ぬ人もいません。
生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
それなのに、なぜあなたは、きょうだいを裁くのですか。また、なぜ、きょうだいを軽んじるのですか。私たちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。
こう書いてあります。
「主は言われる。
『私は生きている。
すべての膝は、私の前にかがみ
すべての舌は、神をほめたたえる』と。」
それで、私たちは一人一人、自分のことについて神に申し開きすることになるのです。
(ローマの信徒への手紙 14:1-12)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用