今日の聖句

2021年10月25日

信仰の先輩と共に

しかし今や、律法を離れて、しかも律法と預言者によって証しされて、神の義が現されました。

神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません。

人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、

キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです。

神はこのイエスを、真実による、またその血による贖いの座とされました。それは、これまでに犯されてきた罪を見逃して、ご自身の義を示すためでした。

神が忍耐してこられたのは、今この時にご自身の義を示すため、すなわち、ご自身が義となり、イエスの真実に基づく者を義とするためでした。

では、誇りはどこにあるのか。それは取り去られました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。

なぜなら、私たちは、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです、異邦人の神でもあります。

実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。

それでは、私たちは信仰によって、律法を無効にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。

(ローマの信徒への手紙 3:21-31)

『聖書 聖書協会共同訳』より引用