拝啓 脂肪燃焼工場長様 ーーーーーーーーーーー 有酸素運動で20分間。 心拍数を確認しながら、ゆっくり走りました。 脂肪燃焼工場長様、いかがでしょうか? 私の体に溜まった脂肪は、エネルギーとして活用できてますでしょうか? 私は、15年間、摂食障害という心の病気でした。拒食症や過食症、過食嘔吐などを繰り返し、ここ数年、やっと普通の人と同じような食事ができるようになりました。 食に囚われてしまった期間、私の頭も心も痩せることばかりを考えて、細い人に嫉妬して、食べ物があることに感謝をするのではなく、食べ物に対して悪意ばかり。外食が怖い。懇親会が怖い。太るのが怖い。 一日三食が苦痛で、これまでどれだけの時間を無駄に過ごしてしまったのか。どれだけの食べ物を無駄にしてしまったのか。そんな自分の罪に押し潰れそうでした。 自分の成人式。 父が亡くなった日。 洗礼を受けた日。 やっぱり私は食に振り回されていました。 もう私はダメかもしれない。どうしてこんなことになってしまったのか。普通に食べたいだけなのに、自分ではどうすることもできない。神様、なぜですか。毎日の行為が苦しいなんて酷すぎませんか。 私は、感謝よりも、悲劇のヒロインになっていたのです。 あれから数年後、炭水化物を食べても美味しいと思えるようになりました。豚肉や牛肉を食べても絶望的にならなくなりました。甘いものを食べても自分を許せるようになりました。これまでの食に対する罪も赦せるようになりました。全ては神様のおかげです。 体重は20キロ以上増えましたが、毎日元気に過ごしています。冷え性も貧血もなくなりました。便秘で病院に運ばれることもなくなりました。下剤の乱用をしなくても快便になりました。強迫観念で走ることもなくなりました。毎朝、主人と一緒にお散歩をして、週2〜4回のゆるゆるジョギングで健康的になりました。痩せるための苦しい運動ではなく、健康のための運動になりました。 とはいえ、やっぱり引き締まった体を求めてしまいます。これは罪でしょうか? 拝啓 脂肪燃焼工場長様 神様から与えられた肉体を、少しでも丁寧に扱いたいのです。引き締まった体になりたいのです。毎日正常に動いてくれている体には感謝しております。さらに求めることは罪でしょうか? そんなことを考えながら、今日も人が少ない場所を好んで走って、神様との対話を繰り返しています。すでに2ヶ月が経過しました。この後、どうなるのでしょうか。それこそ、神のみぞ知るですね。全てを委ねられますように。 心が折れそうになったら、 「人にはできないことが、神にはできるのです」(ルカ18:27) この一文を思い出すようにしております。 (1101文字)