「あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。」(ヨハネの福音書6-26)  65歳を目前にして、この夏生まれて初めて海外に行った。行き先はイタリア。会社勤めの定年延長も終わる間際の夏、誘われて数人で二週間の旅。目玉の4都市に三、四日ずつ滞在、合間の移動は、ほぼ車。  滞在した大きな都市それぞれの素晴らしさもさることながら、目を奪われたのは、移動の車窓から見える景色だった。延々と広がるトウモロコシ畑や葡萄畑を過ぎていくはざまに、点々と小さな町が現れる。そのどこも、中心部らしき位置に聖堂のドームや鐘の尖塔が必ず備えているのには驚いた。さすがはカトリックの国。  ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェと、食べきれない量の美味しい食事にどこでも飽き飽きしながら、また素朴な風景に魅了されつつ移動して、ローマへ。最終見学地はヴァチカンである。入場するや延々と並ぶ彫刻やら絵やらに圧倒され、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」に恐れ入った後でトンネルのような通路を過ぎると、そこがサン・ピエトロ大聖堂だった。驚異的な巨大空間。ここに法皇たちの像や見学の人がひしめいている。  そんな中をおろおろさまよっていたら、ぽつりと座るペテロ像に出会った。飾り気のない、等身大の黒い像だ。その右足は指がなくスリッパでも履いているようだ。「訪ねてきた人がみんな、ご利益があると撫でるんで、磨り減ったんですよ」と、説明されて知った。自分はなんとなく臆して、撫でなかった。  撫でて必ずご利益だの奇跡だのでもあるのなら、はて、撫でただろうか。それだとて、十九年も前に死んだ妻が生き返りはすまい。それ以後自分が子供らと何とか食っていかなければと遮二無二働いた日々も、幻だったことにはなるまい。  いや、そもそもペテロ像の足を撫でてのご利益なんて、今あずかってもおまけなのだ。会社員人生の終わる間際、こんな満ち足りた旅を無事に出来ていることが、もうご利益続きで自分が救われてきたことの証なのではないか。どこからもなんの助けもない、とバタバタ嘆いていた毎日のはざまに、本当は、大丈夫、おまえたちは無事でいける、と支える声が、耳を傾ければいつでもどこでも聞こえていたのではないか。  自分は、どうやら気づかぬまま、ご利益で満腹だったのだ。食わねばと血相変えてきた働き方には、間もなく一区切りつく。区切りは生きることの終わりではない。ヨハネ福音書が冒頭に引いた句のあとに言う、永遠の命に至る朽ちない食物のために働く道が、これから先にひらけているかも知れない。朽ちない食物とは何かを、まず見つけようか。そしたらいっそう、喜びに満たされて生きていける気が、しないでもない。