第4回 聖書エッセイコンテスト ノミネート作品発表

大賞・準大賞などの授賞内容については、2026年1月31日(土)に開催する「授賞式&特別対談」の中で発表いたします。

1. 

信者の贈り物

びわしゅ

エッセイを読む ▼

 大型古書店の買い取りカウンターには、日々大量の本が持ち込まれる。しかし美品ばかりではない。汚損、劣化、あるいは専門的すぎる内容など、理由はまちまちながら多くが不適格品とされる。こちらお値段の付けられないお品です。廃棄になってしまいますので、お持ち帰りになりませんか? 聞いても大抵の客は頭(かぶり)を振る。本の末路が決まるこの瞬間は、幾度経験しても慣れない。

 ある年の暮れ、粛々と査定に勤しむ私の前に、見慣れた本が投げ置かれた。新改訳聖書だった。
「いくらになる」平然と訊く声からは、未練も愛着も感じられない。
「……宗教書籍はお値段つけられなくて。廃棄になってしまいます」
「じゃ、あげる」
 真意の掴みかねるその人は退店し、新品の聖書が凛と残された。立ち尽くす私に店長は『盗るなよ』とでも言いたげだ。私は踏み絵を前にしたキリシタンのように硬直してしまった。
 聖書を、捨てなくてはならなくなった。この手で。
 嘘でしょ。あまりの事態に自分の鼓動がBGMのマライア・キャリーよりうるさく響く。嫌だ。どうしよう。嫌だ。一旦判断留保とし、聖書をカウンター下に置いて顔を上げると、また新たな聖書が差し出された。
「これいける? そこで配ってるやつ」
「配ってる、やつ」
 次の客は駅の方を指さした。
 ――ああ。配っているのか、聖書を。クリスマス・イブだから。
氷解。湧き起こる感情を抑え、私は最初の客にしたのと同じ説明をする。廃棄に、なって、しまいます。
「そっか、いいよ」
 参った。このままでは私も聖書も助からない。縋る思いで主に祈り、近くの信者の無策を呪う。
 二冊目の聖書から御言葉カードがひらと落ちた。裏には上品な文字で『聖書は神様からの贈り物』とある。私は唸った。
“何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある”。これは時ではない贈り物。無為に手放され、誰かの——私の手を汚す。
 泣きたい気分だった。その後も聖書だけ持ち込む人が現れては帰って行く。私は天に何を試されているんだ?
 蛍の光が漸くかかる。閉店。私は聖書を抱えて廃棄倉庫に走った。紙は音を吸い嗚咽も掻き消す。本の墓場の少しでもきれいなところに、そっと聖書たちを置く。ごめんなさい、私には肉の糧のための働きがあり、社会から逸脱できません。鉄扉を閉める。聖書を捨てた業を負う。三十枚の銀貨が落ちる。もうじき鶏がすべてを暴く。神様の贈り物を、私は捨てる役回り。ああ、キリストも弟子もヨセフもノアも、皆それぞれの役回りに、こうして忍従したのだろうか。
 聖夜の店外に散らばる御言葉カードと吸い殻とをちりとりに集めながら、旧約世界の延長線上に自分がいるのだと改めて思った。店員Aの手で捨てられ、どろどろに溶かされ再生される聖書の群が、次こそ受け取られる贈り物になることを切望せずにはおれなかった。


2. 

祈りが重ねられた聖書

白花雪

エッセイを読む ▼

 私は牧師である主人から、これまでに数回、同じ聖書を贈られている。その中でも、特に大切に読み込んでいる一冊について語ってみたい。
 最初に主人から頂いたのは、私が洗礼を受けた記念に贈られたごく普通の聖書だった。それを読み続けていたが、数年後、主人と結婚して2年目の結婚記念日を迎えた時のこと、私たちは毎年この日に贈り物をプレゼントし合う習慣があり、主人が「大型版の革装聖書が欲しい」と言ったので、私はそれを快く了承し、彼のために聖書を買って贈ることになった。
 ところが、問題は私への贈り物だった。主人が知る限りでは、結婚記念には男性から女性へは白の革装聖書を贈る習慣があると聞いていた。しかしその頃には、もう白の革装聖書は販売されていなかった。
 そこで私たちは話し合うことにした。私は主人が持っていた中型の黒い革装聖書を見て、「この聖書はどうするの?」と尋ねた。それは、彼が日々読み込んでいたものだった。
 私はふと思い立ち、「その聖書を、私へのプレゼントにしてくれないかな」と提案した。主人は少し驚きながらも、理由を尋ねてくれた。私はこのように答えた。「あなたは神様に祈りながら、この聖書をたくさん読んできたのを知っているよ。だから、私もあなたが読んでいた聖書を読んで、あなたと祈りを共にしたい」。
 その言葉に、戸惑いながらも主人はうなずき、私の願いを受け入れてくれた。こうして私たちは、2年目の結婚記念日に互いに聖書を贈り合ったのだった。
 今では毎日、主人から贈られたその聖書を読んでいる。彼は黄色の蛍光ペンで大切な箇所に線を引く人なので、ページのあちこちにその印がある。私はその線を見ながら「同じところが大切だと感じたんだ」と思い、同じ神様への信仰を持てることに心が温かくなる。時には私も同じ箇所を大切だと感じることもあり、その上から、オレンジ色のペンでそっとなぞることもある。
 彼がどのみことばを大切にしていたのかが、ページをめくるたびに伝わってくる。だからその聖書は、私にとって学びの書でもあり、祈りの書でもある。こぼしたコーヒーの染みや、折れたページの跡もたくさんあるが、そこに味わい深いものがある。
 この、ただの読み古された一冊が、私にとっては世界に唯一の宝物だ。いつも枕元に置いて、今日も明日もまたその聖書で『神様のラブレター』を読み続けていく。


3. 

天国行き勘違い

蘭名ヒズ

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ママへ

ねぇママ、なんちゃって聖書のこと、覚えてる?
中三の夏休みだったかな。
ママが「はい、聖書」って、まじめな顔で渡してくれた、
高そうで分厚い本。
「読んで、ママに教えて」って言ったよね。

でもさ、気づいてた?
得意技の勘違い、聖書じゃなかったよ。

そういえばママって、占い好きなのに、
十字架のペンダントしてたよね。
いろいろズレてた。

ま、いいよ。
あの本が謎すぎて、逆に聖書、欲しくなっちゃった。
わかりやすそうなこども用の聖書、買ってきたの覚えてる?
黄色いカバーの。

ママ、珍しくほめてくれたね。
「聖書読むのは良いことだから」って。
じゃあ、なんでママは読まなかったの?
本気で、私の読み聞かせ待ってた?

こども用の聖書、読んだけど、ちっとも響かなかった。
ママが最初に「伝記」だって言ったせいかも。

神さまの言ってることがわからなかったら、
人生、道しるべなしじゃん。
最悪……

ママ、聖書を開く娘に、満足してたでしょ。
私、なんとなくわかってた。
結局、本棚で何年も眠っちゃったけどね。
だって、さっぱりわからなかった。

でも、教会の聖書研究会なら、きっと手取り足取り教えてくれる。
あのこども用の聖書片手に……もぐりこんだ。

全員から「おもしろい聖書!見せて!」って、想定外の反応。
話題独占、私の聖書、たらい回し。
すっごい恥ずかしかった。

その時、教会の聖書を初めて見たの。
びっくりしたよ、旧約と新約が一緒なんだもん。
本物の文語体、こういうの苦手なんだよね。

お説教聞いても、無感動。
洗礼受けても、変化ゼロ。
聖歌隊入ったら、ママ「発表会」って言うし。
もう、めちゃくちゃ。

そうしているうちに……
ママ、ベッドの上で意識がなくなっていったね。
ボサボサの髪を気にしながら……。

私、ずっとお祈りしてた。
ママが神さまを受け入れる、最後のチャンスだと思って。

そしたら、
光の輪郭の中に、イエス様がいた。
私と同じことしてる。
ママの天国の遮断機があがったのに、
なぜか心がどんどん落ち着いていく。

神さまとホットラインがつながった瞬間だった。
捜されてたって、やっとわかった。

暗い部屋で、
何の力もない私と、寝てるだけのママに、
帰り道を照らす光が来た。

この光が「愛」。
新しいのに、欲しかった!

聖書って、本じゃなかった。
愛の文字化版だったんだ。
言葉からくる力、それ、信仰の導火線。
神さまのみわざ!

天然ママが選んだ、
あの分厚い本だって、聖書につなげちゃう。

だから私、何があっても大丈夫。
間違えても、神さまは私を忘れない。
これが、私の奇跡物語。

ママ、そっちでは勘違いしてない?

謎な本の贈り物、ありがとう。
じゃ……またね。

ママの子より


4. 

祖父からの聖書と私の歩み

ひかり

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 私はクリスチャンホームで育った。日曜の朝になると、家族そろって教会へ向かうのが我が家の習慣だった。けれど、小学校に入ると、その道が急に険しく感じられるようになった。
 ある日、クラスの友達に「昨日は何してたの?」と聞かれ、「教会に行ってた」と答えた瞬間、笑い声が起きた。「クリスチャンって変だね」「外国文化の宗教なんでしょ」。何気ない言葉が鋭い針のように胸に刺さり、私は下を向いた。教会に通う自分が、周りから浮いているように感じた。やがて、キリスト教を信じていることを隠すようになった。「神様を信じるのは、本当に正しいのだろうか…」──葛藤が、心の奥に重く沈んだ。
 そんなある日、祖父が私を呼び止めた。「これを持っていきなさい」。祖父は長年日本国際ギデオン協会で奉仕し、多くの人に聖書を贈呈してきた人だ。祖父の手から差し出されたのは、日本語と英語、二つの言葉で神様のことばが綴られた、小さな聖書。「神様のことばは、どんな時も君を守ってくれる」──祖父はゆっくり、しかし確信をもってそう言った。神様の言葉に支えられて歩んできた年月がにじみ出る、静かな強さを感じられた。私はただ両手でその聖書を抱きしめた。胸の奥になにか温かいものが広がり、涙がにじんだ。
 時が流れ、私は思春期を迎え、喜びも悩みも増えていった。進路に迷ったとき、孤独で心が沈んだ日、机の引き出しからあの聖書を取り出した。ページを開くと、祖父の筆跡で日付や短い祈りのメッセージが書かれている。「恐れるな、わたしはあなたとともにいる」、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」。その文字は、祖父と神様が私に寄り添っている証だった。あの頃から偏見に揺らいでいた心が、少しずつ「この信仰こそ、私の礎だ」という確信へと変わっていった。
 今、私は祖父と同じように、学校の校門に立ち、小型の聖書を贈呈する手伝いをしている。その中の何人かが手を伸ばし、受け取った聖書をそっとバッグへとしまう。その仕草を見ながら、私は思った。すぐに開かれないかもしれないが、かつての私のように、いつか心が渇いた時、この小さな本を開く日がきっと来ると。
 祖父から受け取った聖書は、単なる贈り物ではなかった。それは、偏見やいじめに傷ついた私を支えた「信仰のバトン」だった。そして今、そのバトンは私の手から次の誰かへと渡っていく。聖書──それは、神様からの愛の贈り物であり、祖父が私に託した希望だ。これからも、この小さな光を胸にしっかりと抱き、未来の誰かへと受け継いでいきたい。どんなに時代が変わっても、神様のことばの輝きは消えることがないから。


5. 

光を継ぐ

たけひか

エッセイを読む ▼

「母ちゃん、聖書買って」
あの時は正直、驚いた。息子のマコトは物欲の少ない子だったからだ。理由も分からず、ただ珍しいと思って買い与えた。

やがて、その聖書は表紙が擦れ、真っ黒になっていった。あぁ、やっぱり物を大切にしないな、と少しがっかりしながらページを開く。すると、行間まで蛍光ペンの線や細かな書き込みで埋まっていた。ページの一角に赤く引かれた文字が目に入った。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)
その瞬間、胸が熱くなった。あの子は、この光を頼りに歩いていたのか。私が知らない間に、もう自分の道を見つけていたのだ。

私はパートで忙しく、息子の熱中ぶりを遠くから見守るだけだった。やがて彼は進学を望み、言語学、ラテン語を学びたいと言い出した。私には分からなかったが、やりたいことがあるのは良いと思った。昭和の時代、私は「女に学問は要らない」と言われて育った。だからこそ、この子には好きな道を歩ませたかった。

一度は「手に職を」と医師を勧めたが、本当に望む道なら応援しようと決めた。受験期、母として出来たことはわずかだった。験担ぎのカツ弁を作り、神社でお守りを買ってきた。だがマコトはそれを受け取らなかった。あとで知った、お守りは聖書の信仰とは相容れないものだと。

結局、彼は努力の末に第一志望へ合格した。その未来は輝いて見えた。

――その矢先だった。

先輩とヒッチハイクで旅行に行くと聞いていたが、次に届いたのは悲報だった。交通事故。即死だったらしい。電話口で「苦しまなかったのが救いです」と言われても、その言葉は胸に届かなかった。享年二十。

遺品はほとんどなかった。残ったのは、あのボロボロの聖書だけだった。震える手でページをめくると、ヨブ記の一節ににじんだインクの跡があった。
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1:21)
その文字が、涙でぼやけて読めなくなった。机に額を伏せ、声を殺して泣いた。彼はこの言葉を信じたまま、旅立ったのだ。

あれから立ち直るまで五年かかった。五十のとき、私も洗礼を受けた。マコトが先に出会った神を、やっと自分の神として受け入れられた。いつしか「ユースパスターになりたい」というビジョンが与えられ、通信で神学校に通い始めた。何年もかけ、ようやく卒業が見えてきたところだ。

先日、最後のレポートを提出した。机の横には、あの日息子に贈った聖書がある。角は擦り切れ、インクの線は薄れつつある。それでもページをめくれば彼の筆跡がそこにいる。それはもう、紙の本ではない。私にとっては、息子がくれた光そのものだ。


6. 

信仰により生きる

新垣 梓

エッセイを読む ▼

 イエス様、私のことが嫌いですか?
 どれだけ愛され、恵みを受けていると知っていても、そう問いたくなる夜がある。
線維筋痛症により体が痛み、精神状態が抑うつ的で世界が私を見放したように思える夜は、特にその問いが心の内の池から水面に浮かび上がるように露わになる。
 人の心、信仰は揺れ動く水面に浮かぶ月のようだ。風が吹きつけるとその形を歪める、雲がかかればその光は弱まる。揺れ動く心は、時に神の愛を確信しながらも、疑いと痛みの中でたじろぐ。
 つらい、つらいと思いながらも、私は日々の暮らしを走馬灯のように振り返る。痛みの中にあり、精神が締めつけられるような日々にあっても、聖霊を通して、人との間にある愛情をとおして、神は静かに語りかけて下さる。
痛みが四六時中私の中に居座ったとしても、神は変わらず日毎の糧、楽しみ、そして愛を与えて下さている。
 かぎ針編みで一編み、一編み、柔らかな毛糸を編み、編み目が少しずつ形をなしてゆく喜び、作品を形づくる楽しみ。神は趣味の中に「楽しみなさい」と創作の楽しみを与えて下さる。
 栗ご飯の温かくてほのかな甘み、梨のシャリシャリとした食感。食卓の中に「食べなさい」と神は季節の食材をもって秋を彩られ、私の心身の飢えを満たされる。
 兄弟姉妹のとりなしの祈り、温かい言葉。キーホルダー、編み物の本などの贈り物。それらは私の心を励まし支えている。神は人との間に働かれ、私に「独りではない」とささやいて下さる。
 それは、神が日々の暮らしの中に豊かに臨在してくださっている証である。
 私の信仰は水面に浮かぶ月のようだ。風に揺れ、雲に隠れ、時にその光がかすむことがあっても、月は確かにそこに存在し、夜を照らし続ける。
 月が太陽の光を反射し、輝くように、私の信仰も神の愛によって照らされている。
 私たちは自身の信仰さえも神から与えられている者だ。聖書に記された「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。」(イザヤ42:3)を思い起こす。神は、私たちのその弱き信仰の灯芯を消すことなく、信仰の灯火を守り育てるお方だ。
 太陽は月より遥かに大きく、猛烈な光を放つ。
 私たちの信仰は、その源である神の愛に比べれば、微々たるものである。しかし、その信仰も神から与えられたもの。どんなに揺れようと、弱まろうと、神の愛は変わらず私たちを照らし続ける。
 かぎ針編みの一編み、食卓の温もり、祈りの言葉は、まるで水面にそれらはすべて月の光のように神の愛を映し出す。
 痛みの中にあってもなお、私は上を見上げ、その光を見つめる。そこには、神の変わらぬ愛が輝いている。


7. 

赤い線が繋いだ贈りもの

はせがわ もちお

エッセイを読む ▼

 初めてのニューヨークは、今から四十五年前のことだ。マンハッタンの小さなホテルの引き出しに、聖書が入っていた。表紙は使い込まれ、ページには無数の手垢がついている。もちろん英語だ。何気なく開いてみると、ある箇所に赤い線が引かれていた。
 「For where your treasure is, there your heart will be also.」
 辞書を片手に訳してみる。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」。マタイによる福音書6章21節だった。当時の私には、その言葉が妙に心に残った。旅先で出会った、見知らぬ誰かが残した痕跡。その人はなぜ、この一節に線を引いたのだろう。メモ帳に書き写して、聖書を引き出しに戻した。
 それから二十年ほどが過ぎた頃のことだ。仕事で訪れた地方都市のビジネスホテル。昇進の話があったが、それは家族との時間を犠牲にする転勤を伴うものだった。私は答えを出せずにいた。宝とは何か。心はどこにあるべきか。
 ふと開けた引き出しに、やはり聖書があった。何の気なしに開くと、驚くべきことに、全く同じ箇所に赤い線が引かれていた。まさか、と思った。何百キロも離れた場所で、同じ言葉に誰かが心を留めている。四十代半ばの私は、二十代の自分がメモした言葉の意味を、ようやく理解し始めていた。
 その時、私は咄嗟にポケットからペンを取り出し、余白に小さく書き添えた。
 「This verse gave me courage. Thank you.」
 書き添えた英語は、拙い文法だったかもしれない。でも、心は込めた。勇気をもらった、ありがとう、と。
 後悔はしていない。それどころか、あの瞬間、私は聖書というものの本質を垣間見た気がした。聖書は、贈られるものであると同時に、贈り続けられるものなのだ。時代を超え、場所を超え、言葉を超えて、誰かから誰かへ。見知らぬ人の心に残された小さな印が、また別の誰かの心を温める。
 あの赤い線を引いた人が誰なのか、私は知らない。そして私のメッセージを見た人がいるのかどうかも、永遠にわからないだろう。でも、それでいいのだと思う。聖書が部屋の引き出しに静かに置かれているように、贈りものとは、見返りを求めない静けさの中にこそあるのだから。
 今、私の書棚にも一冊の聖書がある。あの旅から帰国後、日本語訳を手に入れたものだ。時折開いては、あの赤い線を思い出す。そして思うのだ。私もまた、誰かにとっての赤い線になれたらいいな、と。


8. 

贈られて、贈って。

かやぼん

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 「聖書×贈り物」と聞いて、子どもの頃から教会に通っていた人なら、誕生月に聖書を贈られた記憶を思い出すかもしれない。もし“キリスト教会育ち芸人”がいたら、「毎年もらうから家に何冊もあるんですわ!」が定番のネタになっているだろう。
 私も例に漏れず、祖母に連れられて通っていた教会学校で、誕生日に聖書をもらったことを覚えている。けれど今も鮮明に残っているのは、その聖書よりも、毎週の礼拝後に配られていた「聖句カード」だ。子ども向けのイラストに、聖書の一節が短く書かれている。意味はよくわからなくても、カードというものには不思議と心をくすぐる力があり、私もせっせと集めてファイルに入れるのが楽しみだった。そんな経験のせいか、大人になった今も聖句の入ったカードや栞を見かけると、つい手に取ってしまう。誕生日やお礼状に添えるカードを選ぶとき、私は相手の顔やそのときの状況を思い浮かべながら、「どんな言葉なら、この人にそっと寄り添えるだろう」と考える。そうして手渡すとき、私は“もの”ではなく、聖書の中の“ことば”を贈っているのだと思う。
 先日、実家に帰省した際、娘と一緒に参加した聖餐式で、忘れられない出来事があった。その教会は、洗礼を受けた人だけがパンとぶどう酒を受けられる、いわゆる「クローズド」と言われる形式だった。未受洗の娘にはそれらが渡らない。ところが、である。残念そうな娘の前にパンの代わりに差し出されたものがあった。それは、イエスの復活の場面が描かれた聖句カードだった。娘は顔を輝かせてそれを受け取り、一緒に渡された紙パックのグレープジュースとともに、大事そうにカバンにしまった。その光景に、本当に、私は感激で震えた。娘が喜んでいた理由の大半はおそらくジュースだったとしても、カードに込められた牧師や教会の思いは確かに届いた。クローズドの聖餐式が人を「与れる人」と「与れない人」に分けてしまう瞬間に、聖句カードは「あなたを独りにはしない」という贈り物になっていた。あのとき娘も、そして私も、確かに同じ食卓に招かれていたのだ。
 聖書は本である。けれど、一度にすべてを読むような本ではない。人生の折々に開かれ、必要なときに必要な言葉が立ち上がってくる、不思議な書物だ。
私にとって聖書は、さまざまな場面で、そして時間をかけて少しずつ開かれていく贈り物だと思う。カードとして手渡される小さな聖句も、その大きな贈り物から溢れたひとしずく。
そして、受け取ったひとしずくは沁み渡って広がり、また誰かへの贈り物へとつながっていくのだ。


9. 

私の名前をくれた聖書

春がち

エッセイを読む ▼

物心ついた時から、私は自分の「ハンナ」という名前が苦手だった。絆奈と書いて、ハンナ。「き…きずな、さん?…ハンナさんか。ハーフの方みたいだ。」と初対面の方に言われることも数えきれないほどだ。ハンナ。旧約聖書に出てくる、熱心に祈り続けた女性。その敬虔なイメージは、まるで私に良い子であることを強いているようで、少しだけ窮屈だった。
十八歳で実家を離れる日、母が古びた一冊の聖書を手渡してくれた。「お守りだから。」という母の言葉に、私は曖昧に頷き、それを荷物の奥にしまい込んだ。新しい生活に、この厳かな本はきっと似合わない。数年前に父を交通事故で亡くして以来、1人残される母の寂しそうな笑顔を前に、断れなかっただけなのだ。
都会の暮らしは目まぐるしく、私は故郷を思い出すことも少なくなっていた。そんなある冬の夜、風邪をこじらせて一人、アパートのベッドに寝込んでいた時、ふとあの聖書のことを思い出した。気休めにでもなればと、段ボール箱から取り出す。革の表紙はひび割れ、ページは黄ばんで、独特の古い紙の匂いがした。そういえばこんな表紙だったな、と思い出した。
ぱらぱらとページをめくっていると、サムエル記のあたりから、一通の封筒がはらりと落ちた。宛名には、震えるような文字で「私の絆奈へ」。封を開くと、便箋が数枚。
『あなたを授かるまで、私たちには長い時間が必要でした。毎月のように落胆し、希望を失いかけた夜も一度や二度ではありません。そんな時、お父さんと二人で何度も開いたのが、聖書のハンナの物語でした』
よく赤い万年筆で何かを書いていた母の背中がそこにあった。手紙を読み進めるうちに、私の知らない両親の痛みが、インクの滲みから伝わってくるようだった。
『私たちは、ハンナの悲しみに共感すると同時に、彼女の祈りの姿に心を打たれたのです。声には出せず、唇が動くだけの静かな祈り。周りからは酔っていると誤解されるほど、彼女は自分の魂を神様の前ですべて注ぎ出した。私たちは、そのひたむきさに希望を見出したのです』
そこで母の文字は、涙の跡のように少しだけ歪んでいた。
『だから、あなたに「ハンナ」と名付けました。人生には、人には理解されないような深い悲しみや、声にならない願いを抱える時が来るかもしれない。でも、どんな時でも、あなたが自分の心に正直に、魂を込めて祈れる人でありますように。あなた自身が、私たちにとっての「恵み」の贈り物だから』
読み終えた時、私の頬を温かいものが伝っていた。私の名前は、聖書の物語を通して母親が私に託した、切なる祈りそのものだった。窮屈な鎧だと思っていた名前は、実は私を守るための、世界で一番深い愛情の証だったのだ。
「私の名前は、ハンナです。良い名前でしょ?」それはもうただの記号ではない。母の愛と、聖書の物語が織りなしてくれた、私だけのかけがえのない「贈りもの」なのである。


10. 

病室に響いた祈り

双瞳猫

エッセイを読む ▼

 私が小学六年生の秋、母の長い闘病生活が始まった。それは中学二年の秋に終わりを迎えるまで、三年の長きに及んだ。
 大学病院での闘病中、私は漠然とした不安を感じつつも、後に「悪性黒色腫」と告げられる母のその病が、死に至るものとは知らされていなかった。そんなある日、日曜学校の先生をしていたクリスチャンの叔母に伴われて、一人の牧師さんが母の病室を訪れた。我が家は曹洞宗の仏教徒であり、盆や彼岸にはお寺参りを欠かさない家庭だった。だからこそ、場違いな訪問者に、私は若干の警戒心を抱いたかもしれない。日に日に弱っていく母を前に、私は無力感とやり場のない怒りに苛まれていたのだ。
 牧師さんは穏やかな笑みを浮かべると、母のベッドの脇に静かに腰掛けた。そして、使い古されて角が丸くなった小さな聖書を手に取り、ゆっくりと語り始めた。「少し、お祈りをしてもよろしいですか」。母はか細い声で頷いた。正直、私はどうしたら良いのか途方に暮れていた。しかし、牧師さんが静かに目を閉じ、祈りの言葉を紡ぎ始めると、病室の空気が変わった。それは、何かを懇願するような切羽詰まったものではなく、ただただ、母の苦しみが和らぐようにと願う、柔らかく、深く、澄んだ響きを持っていた。
 「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」。はるか昔に母の享年を超え、還暦を過ぎた今でも忘れられない。牧師が読んでくれたのは、詩編二十三篇だった。その言葉の一つひとつが、乾いたスポンジに水が染み込むように、私の心に、そしておそらくは母の心にも沁み渡っていった。「たとえ、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」。癒やしを求める祈りは、病の床にある母だけでなく、愛する人を失いそうな恐怖に押しつぶされそうになっていた私の心にも、一筋の光のように差し込んだ。それは、宗教や宗派を超えた、普遍的な愛と慰めの「贈りもの」だった。祈りが終わった時、母の頬に一筋の涙が伝うのが見えた。それは、絶望の涙ではなく、安らぎの涙のように、私には思えた。
 その後、母は自宅近くの病院に転院し、中学二年の秋、冷たい木枯らしが窓を揺らす季節に、静かに息を引き取った。通夜と葬儀は、慣れ親しんだ曹洞宗の作法に則って、菩提寺で厳かに行われた。読経の声が響く中、私の脳裏には、あの大学病院での牧師の祈りの言葉が繰り返しこだましていた。
 私はクリスチャンではない。しかし、あの時、母と私、そして家族が受け取った「贈りもの」は、生涯忘れることはないだろう。それは確かに、先の見えない不安の中にいた人間に与えられた、安らぎという名の聖なる贈り物だった。信仰の形は違えど、人の魂に寄り添おうとする祈りの美しさを、私はあの病室で知ったのだ。


11. 

「イエィ!」と言って天国へ。

知念 満二

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彼女が天国に行ったのは2024年の5月でした。
東京から沖縄に来てくれて一緒に暮らしたのはわずか7年でしたが、20年以上一緒に居たような濃い時間でした。癌の余命宣告にも動じず「命の終わりはそれがいつ来ようとも、命自身が選んだ生の完了であり、お祝いであって欲しい」と友人たちにメッセージを残しました。
ホスピスの部屋のテレビニュースが、ガザへの空爆を伝え、ヤンバルの貴重な自然を切り開き大型のテーマパークが作られていると伝えると「私の癌は世界が平和になったら一瞬で消えるの。それに基地ができるよりずっと良いのよ」
「死ぬときは、私は人生を生き切った。イエィ!と言って死ぬからあなたもイエィと言ってよね!」「えっ!看とる方も言うのかい?」「そうよ!言ってね!」
彼女のベッドの隣で寝ていた私はある深夜、寝つけずにベッドの横で寝顔を見ていました。そこへ見廻りの看護師さんが来られて「どうしたんですか?」「彼女の横に寝たいです。でも、狭すぎて無理ですよね?」「いえ、そうされてください」ベッドの柵を外し、横向きですがなんとか彼女の横に寝るスペースを作ってくれました。
狭いことが逆に全身で彼女の呼吸を感じることができました。
呼吸と呼吸の感覚が少しづつ長くなり、彼女の呼吸が止まりました。「〇〇さん。イエィって言ったのかい?聞こえなかったよ。でも約束だからイエィって言うね」そう言って彼女に「君は見事に人生を生き切ったよ。イエィ!」と、泣いているとドアが開いて別の看護師さんが「何されているんですか?」。説明をすると「では、私も」そう言って泣きながら彼女もイエィと言ってくれました。
彼女の告別式は沖縄で行いましたが、彼女の希望で東京の友人である牧師さんが司式をやって下さいました。
「最後の一息まで彼女を幸せにして下さってありがとうございました」と紹介された私は「皆さんで彼女を祝福しましょう」と言って、全員で「イエィ!」と親指を立てて祝いました。
彼女が天国へ行ってから3ヶ月ほどした頃、その牧師さんから連絡がありました。
「実は生前彼女より頼まれていたことがあります。〇〇ちゃんにクリスチャンになってとは言わないけど、もう少しイエス様に近づいてほしい」と。
それから月に一度ズームで彼女の名前を冠した聖書研究会が開かれています。
私以外全員クリスチャンで初めは4人でしたが今は10人ほどになっています。
彼女の聖書にはびっしりと線が引かれています。そして聖書の裏表紙に「12月25日のクリスマスの朝、サンタよりこの聖書をいただきました。小学校3年 8才」そして名前が書かれています。
彼女が線を引いた箇所を司式をやって下さった牧師さんが写真を撮り、そこをメインに皆さんの楽しい話を聞いていると「この集まりは彼女と聖書が僕にくれた贈り物」なんだと思います。
君の61年の人生は見事だったよ。「イェィ!」


12. 

聖書との再会

佐伯 理奈

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 私は、幼稚園から高校までカトリックの女子校で過ごした。現在18歳である私の14年間は、校内のいたるところにイエス様とマリア様の絵画や彫像が見かけられ、ミサとお祈り、聖歌や聖書が日常に溶け込んだ、まさに神様を身近に感じられる毎日だった。そんな私は、この春、大学に進学した。今までと全く異なる環境に身を置くと、お祈りすることも聖書を開くことも一切なくなった。我ながら呆れてしまうくらい「カトリック教育はどこへやら」であった。
 大学入学から3ヵ月後、私は課題レポート作成のため、自室の本棚で資料を探していた。背が高い地図帳や資料集の間に立つ、小さな聖書の姿が見え、ふと手に取った。年季が入った聖書をパラパラとめくると、ページの間からノートの切れ端がするっと落ちた。そこには、授業中に友人とこっそり交わしたメッセージがしたためられていた。

 一瞬で、あの日にタイムスリップした。
 太陽の優しい光が注ぐ教室や、風が運んでくるどこかの金木犀の香り、クラシカルな制服を着た私たちが、先生のちょっとした言い間違いにくすくす笑う。私と隣の席の友人は、授業とは全く関係のない話を同じ切れ端に書き合っていた。「ああ、懐かしい」と微笑むと同時に、ふいに涙腺が緩んだ。
 実は、このときの私は少し無理をしていた。そんな自覚があった。大学という新しい環境に新しい仲間、初めて取り組む学問と語学、そして、初めての感情。楽しいけれど、充実しているけれど、慣れないことの連続で毎日がてんてこ舞いだった。聖書を開いたとたん、私の前に神様が静かに現れ、「大丈夫だよ」と温かく包んでくださった気がした。ノートの切れ端が挟まれていたのは、偶然にも「放蕩息子のたとえ」のページであり、家を飛び出し、すべてを失った息子を父が抱きしめて迎えるあの場面だった。神様はずっとそばにいてくださったのだと気付き、胸が熱くなった。
 その夜、卒業式の日にいつも通り「またね」と別れたきり途絶えてしまっている、あの隣の席の友人にSNSで連絡をした。「懐かしい!」「嬉しい!」と彼女から矢継ぎ早に返信が来た。まるで、あの日の切れ端のやりとりと同じように。短い時間にテンポ良く、何往復か交わし「また必ず会おう!」と結ばれた。それから数時間後、「本当に本当に、ありがとう」と彼女らしからぬ、しっとりとしたメッセージが改めて届いた。彼女も私と同じように、疲れていたのかもしれない。「良いタイミングで連絡したな、聖書のおかげだな」そう思った。

 聖書は、決して戻れない美しい日々が神様の愛に包まれていたこと、そして、今も私のそばに神様がいることを知らせてくれた。そこに書かれた神様の言葉たちだけが尊いわけではない。聖書という存在自体が神様から私たちへの贈りものであり、御守なのだろう。

 今日も本棚の聖書に目をやり「行ってきます」と声をかける。この小さなお祈りが、私の新しい日課だ。


13. 

一筋の光

舘 利恵

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 聖書と私の初めての出会いは、小学五年の秋だった。そのころ私は、同級の女子たちから苛めを受けていた。足が悪いからだった。
 クラスの女子は十二人。そのうち五人が休み時間になると、あること無いことで言いがかりを私に付けた。
 バランスが取れずに変な歩き方をしていること、遠足で泥だらけの急な斜面を降りられず、担任の先生におぶってもらったこと、習いごとの都合で学校を早退したこと、等々。
 よくもまあこんなにたくさんの内容を次から次と思いつくものだと感心するくらい、私を責め立てた。
 二階の教室から一階へ逃げると、五人で肩を組んで私の歩き方をもっと大げさに大きな音を立てて足を引きずって付いてくる。一階の低学年の生徒たちが驚きの眼で私と彼らを見ている。恥ずかしくてたまらなかった。
 給食のあとの昼休み、たまたま逃げ出すことができた。追いかけられたが、図書室に逃げ込むと、不思議なことに誰も入ってこなかった。司書の先生もいない独りぼっちの空間で私は本の世界に浸った。
 そこで見つけた旧約聖書は、時代と空間を超えたファンタジーの世界だった。聖書を読んでいる時間だけ苛めを忘れられた。
 しかし苛めはエスカレートしていった。放課後毎日五人に取り囲まれ、頬を殴られたり蹴られたりした。先生も級友たちも助けてくれなかった。逃げると罵声と石が飛んできた。
 「死にたい」と家族に訴えると、祖母が苛めっ子の家に文句を言いに行った。すると事態はさらに悪くなり、学校の机に黄色いチョークで「死ね!」と書かれ、「親に言いつけるなんて卑怯者」と書いた紙くずが何枚も机の中に入れられた。
 さらにHRで「舘利恵が死にたいと言っていること」というテーマで皆の前で討論され、クラス中が「死にたいという気持ちを持つことは悪いことだ」と私を責めた。担任もそれに同調し、私は泣くこともできなかった。
そんな私の辛さを和らげてくれたのは、図書室の子供用聖書だった。中に
「スズメ一羽でさえ、天の父が知らないうちに地面に落ちることはありません。ですから、恐れることはありません。あなたたちはたくさんのスズメよりも価値があるのです」
 という文章を見つけた。 
 独りぼっちで誰も味方がいないと思ったけれど、ひょっとしたら神様が私を大切に思い、見守ってくださっているかもしれない。そう思ったら涙が止まらなかった。
 毎日学校に行くのは辛かった。でもそれからは冷たい視線や言葉を浴びるたび、「スズメ、スズメ」と心の中で唱えて耐えた。
 暗闇に溺れながら一筋の光を信じた日々は私を強くした。五年間のいじめに耐えて義務教育を終えた私は地域一番の進学校に入学した。苛めっ子は一人も来なかった。(終)


14. 

父よ、兄よ

シモダイラ

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 故郷を出てひとり暮らしを始めた頃、俺は自分を何でもできるスーパーマンだと思っていた。

 バイト先の農場では、五年目のエース。新人たちをしごき回していた。大学は休学等を挟み、3年遅れを取りながらも努力を重ねて、卒業を迎えた。
 何事も自分の能力と努力でどうにかできると思っていた。

 俺には一つ夢があった。いつか乗馬を始めて、ナポレオンのごとく馬で草原を駆け回ることだ。しかし実家の近くに乗馬クラブなど無く、あったとしてもレッスン料が相当高いということで、この夢は実現していなかった。

 人生にも、テレビドラマと同じように”シーズン”が存在するように思う。シーズン1で試練を通して、人間として完成された存在になった主人公は、シーズン2で新たな試練に見舞われることになる。
 
 人生のシーズン2に入ったスーパーマンを待っていたのは嵐のような日々だった。新卒で入社した、山奥の乳牛牧場。限られたスタッフで何百頭もの牛を世話するので、当然みんな余裕がない。俺は仕事の不手際を毎日叱責されて、あからさまに睨まれたこともある。そのたび年下の先輩にペコペコ頭を下げていた。農業のバイトで鍛えたはずの野良仕事のスキルを全く活かせなかった。
  
 アパートのベットの上で顔を覆っているときが、安心できる時間になっていた。枕元にはオレンジ色の表紙とジッパー付きの聖書。文学部出身の俺は古典文学の一つとして聖書も読んでいた。
 信仰とは縁遠かった俺だが、このときは不思議と何か大きな力に導かれるようにして、この分厚い本のページをめくってみた。ヨハネ15章7節の記述が目についた。「あなた方がわたしにつながっており、わたしの言葉があなた方のうちにいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい」。
 
 試しにそのとおりにしてみた。「神様、もし、俺に用意した計画があるなら、バカな俺にも”これ!”と分かるように示してくれよ」って。

 それからすぐだ。仕事帰りに温泉に立ち寄ったとき。チラシや広告を並べたラックに乗馬クラブがやっている体験乗馬の無料招待券を見つけた。
 「神様、これがもしかして俺に示したサインなのかい?」

 次の休みにさっそくクラブに出かけて、体験乗馬用の小さなサークルを馬に乗って歩いた。ナポレオンには程遠くても、いい気分だった。二十代の俺は、レッスン料が通常の半額になると聞き、入会を即決した。

 俺はもうスーパーマンではないし、なるつもりもない。そもそもはじめから、一人では何もできなかったんだ。かわりに、俺の人生に頼もしい導き手が二人現れた。天の父である神様と、二千歳も歳の離れた兄貴である、イエス・キリストがね。


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第4回 聖書エッセイコンテスト