第1回 聖書エッセイコンテスト アワード
日本聖書協会×キリスト新聞社
第1回 聖書エッセイコンテスト アワード
第1回聖書エッセイコンテストは2023年3月18(土)、銀座教文館ギャラリーステラ&オンラインで開催されました。当日は特別ゲストとして、林あまり氏、清涼院流水氏をお迎えし、対談を行っていただきました。
開催日:2023年3月18 日(土) 15: 00~17:00
場所:教文館3階ギャラリーステラ&オンライン
共催:一般財団法人 日本聖書協会 キリスト新聞社
協力:教文館キリスト教書部
受賞作品発表
「父の遺言」
見澤 富子
エッセイを読む ▼
読書が好きだ。読書と言っても小説とか漫画とかじゃなくて、聖書を読むのが好きだ。朝から聖書を読んでいると「なんだ。試験勉強じゃないのか」とガックリ肩を落とす。母の残念そうな顔が好きだ。途中トイレに行けば「門をたたきなさい。そうすれば開かれる」と兄がマタイによる福音章の一節を引用する。そんなお茶目なところも好きだ。メイク中の姉に「今日も目がキレイだね」と言うと「人の長所ばかりを見てるからね。目が澄んでいれば全身が明るいんだよ」と聖書の一節を引用しつつ、アイラインをグッと引く。あの得意顔も好きだ。
そんなわが家も十一年前。震災ですべてを失った。家は津波で流され、大切な父も流された。いくら探したかもわからない。いくら泣き叫んだかも。あの時の津波のしょっぱさは、きっと、涙の味だった。
だけど奇跡は起きた。震災から二週間後。瓦礫の中から父の聖書が見つかった。これは生前父がよく読んでいたもの。何だか父の里帰りみたいで胸が熱くなった。
「ノアの大洪水の後、もうしないよって約束の証に主が虹をかけたんだよ」
父は私によく聖書の話をした。私が「じゃあ虹は笑顔の証拠なんだね」と言うとやさしく微笑んだ。
いま懐かしい思い出を胸に、どうしても父を奪った津波が『ノアの洪水』と重なってしまう。怒りや哀しみ。どうしようもない気持ち。もちろん、ある。それでもここに父の聖書が残る意味は、きっと、ある。これは父の遺言であり、愛のメッセージ。
「何かあったら聖書を読んでごらん。きっとチカラが湧いてくるよ」
天国からささやく父の声が聴こえた気がした。
それからというもの皆で聖書を読むようになった。避難所の生活に疲れた日。電気を止められた日。進学の夢を断たれた日。いつでも聖書は私たちと共にあった。苦しい時でも聖書を読むと勇気が湧いてくる。虹の前には必ず雨があるように、雨のような涙を流したって、いつか虹のような未来が待ってる気がした。
先日のお墓参りは雨だった。帰り道、空に上がる虹を見て「きっとパパが喜んでるのね」と母が笑う。この時の笑顔がものすごく好きだ。
読書も、聖書も、家族こそ好きだ。これからも私たち家族は『聖書』と共にある。聖書を通じて父を傍に感じられたらいいし、笑顔になれたら、もっと、いい。そんなことを考えるのが今は一番好きだ。
受賞者コメント
このたびは数多くの作品の中から選出していただき、誠にありがとうございます。コロナ禍とあって窮屈な生活を強いられる中、大変喜ばしい知らせでもありました。聖書は私の生きる知恵であり、支えであり、心の家族でもあります。これからもあらゆるものに感謝しつつ、聖書と共に人生を歩んで参りたいと思います。ありがとうございました。
選評
見澤富子さん、おめでとうございます。
東日本大震災の津波で、大切なご家族やご友人を亡くした方々の悲しみは癒えることはなく、それは被災していない私などにはわからない重さです。
あれから私は、特に洪水の箇所は読みにくくなり、教会学校でのお話も躊躇してしまいます。ところが今回ハッとしました。
お父様を亡くされた見澤さまご自身が、このような力強い証を書いてくださったのです。神さまの約束の虹、それを私ももっと大事にしなければ。
本当に素晴らしいこのエッセイを、たくさんの方に読んでいただきたいです。
(林 あまり)
仲の良いご家族が聖書を通じて交流する導入部の光景がハートウォーミングなので、そこから一転し、東日本大震災でお父様とご自宅を喪失された巨大な悲劇が、読んでいて胸にずしりと重く響きます。残酷な津波から「ノアの大洪水」を連想してしまうのは、被災されたクリスチャンの多くが深刻に葛藤された問題ではないでしょうか。だからこそ、瓦礫の中からお父様の聖書が奇跡的に見つかったことは、まさに天国のお父様からのメッセージのようです。雨上がりの虹の中で微笑むお父様の笑顔が、読んでいて、ありありと目に浮かびました。選評委員のふたりだけでなく第1回聖書エッセイコンテストの関係者全員から満場一致で支持された、まさに大賞にふさわしい、素晴らしいエッセイです。
(清涼院 流水)
受賞特典
日本聖書協会発行の機関紙「SOWER(ソア)」および、キリスト新聞社管轄のWebメディアでの掲載を確約。
3万円相当のギフトカード
「私につながっていなさい」
吉國 選也
エッセイを読む ▼
私が小学四年生のとき、母が病に倒れた。父は早くに天に召され、母は女手ひとつで私たち兄妹4人を育てていた。「母子家庭だから」と後ろ指を指されたくない、そう思って無理を重ねていたのだろう。母の顔は日に日に土気色になっていく。やっと医者に診てもらった時には、一刻も早く胆のう摘出手術をしなければ命の危険さえあると言われた。身寄りの少なかった私たちはそれぞれ、親戚や篤信なクリスチャンの友人に別々に預けられることになった。
私は同じ教会に通う教会員のご家庭に預けられた。歳の近い子どもたちが住んでいたこともあり、最初の数日こそ楽しく過ごしたが、しょせんは肩身の狭い居候生活である。他人の善意に甘えていることは幼心にも理解していたので、やがて全てに遠慮がちになった。ひと月、ふた月が過ぎても母は退院する気配がない。このまま家族が離れ離れになるのではないかという漠然とした不安が、重く心を覆っていった。
そんな私を見かねてか、ある時おばさんが自分の好きな聖書の箇所を教えてくれた。
「私はまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。」「私につながっていなさい。」「その人は実を豊かに結ぶようになる。」
現実は家族がバラバラになり、明日どうなるかもわからない境遇だった。そんな自分に「私につながっていなさい」と語りかけるその言葉。心地よい旋律のような響きは私の脳裏に刻み付けられた。しかし、それが聖書のどこに書いてあるのか、その時はおばさんに遠慮してついに聞くことが出来なかった。
それから程なくして母は退院し、幸いなことに私たち家族はまた一緒に暮らすことができるようになった。血色の戻った美しい母の頬っぺが嬉しかったのを覚えている。
わが家に帰った私は、学習机に立て掛けてあった自分の聖書を、ほとんど初めて自分の意思で開いた。あの言葉はどこに書いてあるのか。パラパラ漫画の落書きが端に描いてある聖書のページを、漫画には目もくれずにめくっていった。
学校帰りの午後、数日を要したと思う。族長アブラハムの物語が終わり、私と同じ名前の預言者エリヤの物語も過ぎた。イザヤ書の預言の言葉がなんとなく似ていて、読み落としたかともう一度読み返したがあの言葉は書いていなかった。
そしてついにイエス様の物語である「ヨハネによる福音書」の中に、その言葉を見つけた。小声で声に出してその箇所を読み、それから声を押し殺して泣いた。その言葉を言ったのは・・・十字架刑で殺される直前のイエス様だったのだ。「私につながっていなさい」。この聖なる御言葉はその時私の一部になった。
あれから時を経て、言葉の力を信じる者になった私は本屋のオヤジになった。それも聖書を売っている特別な本屋だ。私は今日もお客様を心からお迎えしている。あの時の可哀想だった自分を救ってくれた「聖書」の言葉を、今は手渡す人になっているのだから。
受賞者コメント
審査していただいた皆様に心から感謝いたします。
7年前に重度のウツを患いました。一進一退の闘病生活の後、リハビリとしてたどり着いたのが自分の気持を文章にして書くという行為でした。
病を得たことで今まで気づけなかった「人々の感慨や心情」にも敏感になり、記憶の彼方だった自分の過去の体験も、改めて見つめる事ができたのだと思います。
今回の受賞は神様からの大きなプレゼントでした。
選評
吉國選也さん、おめでとうございます。
辛い境遇にある一人の少年が、聖句を教わります。心に残ったその聖句がどこにあるのか知らなかった彼は、創世記から順々に読んでいきます。
でもその聖句は、聖書の終わりのほうにあったのです。長い時間をかけて、ヨハネによる福音書でようやく見つけた聖句に涙する、なんと感動的な場面でしょうか。
聖書を読んでほしいと願った、神さまのご計画が実現したのです。
(林 あまり)
女手ひとつで4人のお子さんを育てていたお母様が倒れられ、家族がバラバラになってしまった幼少期のつらい日々の中で救いとなった、「私につながっていなさい」という聖書の言葉。インターネットも存在しない時代に、その言葉がどこにあるのかを自力で見つけ出すために聖書を初めて真剣に読み、聖書の膨大な言葉の海の中に、ついにその言葉を見つけた時の感動と、十字架刑につけられる直前のイエス様の御言葉だったと知った時の衝撃が、伝わってきました。その体験で「言葉の力」を信じられるようになり、今では書店員として聖書の言葉を人々に届ける立場になったという結末も美しく、胸を打ちました。
(清涼院 流水)
受賞特典
日本聖書協会発行の機関紙「SOWER(ソア)」および、キリスト新聞社管轄のWebメディアでの掲載を確約。
1万円相当のギフトカード
「きせきのくすり」
小松崎 有美
エッセイを読む ▼
その日夫に癌が見つかった。手術をしても助かる見込みはない。突然のことに最初は激しく動揺した。お酒もタバコも吸わない夫がなんで。
「先生。もう一回ちゃんと調べて下さい!お願いです!そんなわけがありません」
「信じたくない気持ちはわかりますがもう医療のチカラではどうすることもできないんです」
医師の言葉が耳ではなく、胸に突き刺さった。
その帰り道ぼーっと歩いていると教会の看板に足を止められた。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、 わたしのところへ来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。』
何だかあやしい文言。それでも自然と身体が入口の方に向いた。
「ごめんください」
私は牧師に話した。病気のこと。手立てがないこと。先が長くないこと。すると「ちょっとこの部分を読んでみましょう」と聖書を見せて下さった。それはイエスが病気について尋ねられた場面だった。イエスは答えた。『(目が見えなくなったのは)この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです』
牧師は「たとえ不幸と思われることがあってもそこに神の摂理があり、必ず良いことに変えてくださいます。失望しないこと」と言った。
しかし牧師の言葉とは裏腹に、夫の容体は日に日に悪化する。食べれない。寝つけない。ろれつが回らない。そしてクリスマスにはついに『最後の』外泊許可が下りた。
「これが最後のサンタさんか」
夫は切なさいっぱいにカレンダーを見た。私もその姿をどうしようもない気持ちで見つめた。
帰宅するとテーブルに娘が書いた手紙があった。
『サンタさんへ 』
おそらくプレゼントのお願いだろう。おもむろに封を切った。
『パパのびょうきがなおるきせきのくすりをください』
肩から崩れ落ちそうな衝撃。私はたまらず床に突っ伏して泣いた。
クリスマスの夜。私たちは枕元に『きせきのくすり』と書いた粉砂糖を置いた。プレゼントに気づいた娘はとびはねて喜び、それを飲んだ夫も「ああ!これでもうガンが治ったぞ」と声をあげた。その姿を見ながら聖書の言葉は嘘じゃなかったと思った。確かに世の中には色んな病気が溢れている。だけど治らないからと言ってすべてに絶望してはならない。イエスが『神のわざが現れる』と言うように『きせきのくすり』が私たちにとっては生きる希望。神様が気づかせてくれた親子の絆なんだ。
三日後夫は天国へ旅立った。最後は「安らかに眠れなくなるから泣くなよ」と私たちを笑わせて。夫らしい明るい仕舞いだった。
それでも来年のクリスマス。ケーキにふりかかった粉砂糖を見たら、『きせきのくすり』を思い出し、ちょっとだけ涙するかもしれない。
受賞者コメント
はじめて綴った聖書エッセー。ノミネートされたと聞いた時は大変驚きました。こんな文章でいいのかしら。ちょっと恥ずかしいな。そんな思いも正直あります。それでも私にとって人生の道しるべのような聖書。これを機に聖書の素晴らしさが一人でも多くの方に届いてくれたらと願うばかりです。この度は本当にありがとうございました。
選評
小松崎有美さん、おめでとうございます。
実に美しい、心にしみるお話です。絵本になったらいいな、と思いました。
薬を、粉砂糖に例えたところが素晴らしいです。
ちらちら、きらきら、ふわふわとした粉砂糖。悲しみを優しく包み込んでくれる、清らかな粉砂糖が、読者の胸にもずっと降りつづけます。
(林 あまり)
ご主人の癌が見つかり、「医療のチカラではどうすることもできない」と医師から宣告された絶望の中で導かれた教会。そこで牧師からもらった励ましの言葉も慰めとはならず、ついに最後の外泊許可が下ります。クリスマスを前に娘さんがサンタさんに「パパのびょうきがなおるきせきのくすりをください」とお願いをする箇所では涙があふれました。ご主人が天国へ旅立たれる前、ご家族には奇跡のような時間が現実にあり、その奇跡から生まれた永遠に消えない絆が感じられます。さまざまな人生の苦難の中にあるすべての人にとって、聖書の言葉は本当に「きせきのくすり」となりうるのだと、改めて教えていただきました。
(清涼院 流水)
受賞特典
日本聖書協会発行の機関紙「SOWER(ソア)」および、キリスト新聞社管轄のWebメディアでの掲載を確約。
1万円相当のギフトカード
「聖書をなくした日」
太田 浩登
エッセイを読む ▼
紺色のカバーをかけた聖書をもらった日のことは覚えていない。くれたのは、たぶん母さん。息子が信仰を持つのを期待していたんだろうな。大学生になっても使っていて、随分とボロボロになっていた。でもそんなこと気にしていなかった。こどもの頃からずっと使ってるなんて粋な感じがしないかい?そんなわたしの聖書をなくした日のことは絶対に忘れないんだ。
遠距離恋愛中の彼女に会いに東京に遊びに行った。ノンクリスチャンの彼女に少しでも御言葉を伝えられたら。そんなチャンスが来ることを願って高速バスに乗ったけど、久しぶりに会う彼女の可愛さに夢中になって3日間があっという間に過ぎた。帰りの深夜バスを一緒に待っているときにバックに聖書を入れていることを思い出した。
そうだ、ここだ。ここで聖書の話をしてみよう。恥ずかしくも将来一緒になりたいと思ってしまった相手に、自分が一番大切に思っていることを分かち合いたい。この人なら、きっと聞いてくれる。意を決してバックから聖書を取り出そうとガサゴソしていると、彼女は言った。
「っていうかやんじゅ君遅くない?」
説明が遅れて申し訳ないが、このやんじゅというのは、友達のあだ名だ。本名は純弥(じゅんや)。なんでやんじゅかは想像してみて欲しい。やんじゅは東京に行くと言ったら、「じゃあ俺もいく。」とついてきた。一緒に東京で一人暮らしをしている友人の家に泊めてもらっていたんだった。
やんじゅとは今日は一日別行動で、帰りの高速バス乗り場で待ち合わせをしていた。この場所に、来る約束の時間は少し過ぎている。気にしている様子の彼女を安心させるため、メールを確認する。「今、新宿駅についたよ。」「新宿駅にいるんだけど、ここがどこだかわからない。」「南新宿って新宿ってこと?」どんどん泥沼にはまっている様子だった。心配した彼女が改札を抜けてやんじゅを迎えに行ってくれた。
人ごみの向こうにピンク色のバスが止まっているのがみえる。帰りのバスだ。運転手の人が降りてきて、準備を始めている。あと3分という所で、ようやくやんじゅが駅から飛びだしてきた。彼女に出口を教えられて、走ってきたらしい。遠く後ろに彼女の姿がみえる。ありがとうと叫びやんじゅと走り出した。次のバス代なんてない。だから間に合わせるしかない。あれ。なんかバックのファスナー開いてるかも。なんか飛んだかも・・・。いや走れ。走れ!
高速バスに乗って、一息もしないうちにバスは出発した。バックの中に聖書はなかった。虫の息の友達、窓越しの彼女、ギラギラと光る新宿の街。あかりが消えていくバスの中で、なくした聖書のことをさびしく思った。なくした聖書は戻ってくることはなかった。でもこんなにも、聖書を大切に思っていた自分をみつけることになった。新しく買い直した聖書も少しボロくなってきました。
受賞者コメント
この度は審査員特別賞に選んでいただき本当にうれしい気持ちでいっぱいです。クリスチャンとして今歩んでいるのは兄弟姉妹の証や実践をみて、その背中を追ってきたからです。僕も生き様を全開にして、目指す地の塩世の光!ありがとぉございましたー!!
選評
太田浩登さん、楽しいエッセイをありがとうございます。完全に、私の好みの一篇でした。
なにしろ、動きがあります。人物が走り、聖書が飛んでゆく…!さらに、色彩も豊かです。紺色のカバーの聖書、ピンクのバス。
読者の目に鮮やかに浮かぶ、優れた作品となりました。最後の一行もいいですね。
(林 あまり)
受賞特典
5,000円相当のギフトカード
「祖父からの書簡」
河島 文成
エッセイを読む ▼
その朝、理由は忘れたが祖父と喧嘩した。多分些細なことだったと思う。幼稚園児の私は怒って家を飛び出した。そして幼稚園の送迎バスの停留所へ向かった。ちらりと振り向くと、和服姿の祖父が、朗らかな笑みを浮かべてゆっくり着いて来ている。その朗らかさに余計に腹が立って、私は足を速めた。
その日は祖父が私を停留所に連れて行ってくれることになっていた。珍しいことなので、私は楽しみにしていたと思う。和服が似合う、背筋がピンと伸びた祖父は私の密かな自慢だった。それが喧嘩のせいで台無しになってしまった。そのせいか、その朝のことは今もよく覚えている。
しかし幼稚園児に腹を立てる祖父も祖父だろう、と私は今も言い訳がましく思う。大人の余裕を見せてはどうなのか、と。そんな祖父がキリスト教の牧師だったと知ったのは、彼が亡くなって随分経ってからのことだった。
祖父が使っていた口語訳聖書には開き癖が付いている。開けると自然に詩篇三七篇が開く。祖父はこのページを好んでいたのだろうか。「あなたの道を主にゆだねよ」(詩篇三七篇五節)は私の好きな箇所でもある。祖父があの和服姿で、私が何度も忍び込んだあの書斎で、この聖書を開いているのを思い浮かべる。詩篇三七篇を何度も口ずさみ、暗唱したのだろうか。私は一時期、職場のロッカーに入れてあった詩篇付き新約聖書を休憩時間に開いて、この箇所を口ずさんでいた。沢山の思い悩みを「主にゆだねます」と祈った。祖父も同じように思い悩んだのだろうか。そして同じように切実な気持ちで祈ったのだろうか。私は朗らかに笑う、悩みのなさそうな祖父しか知らないのだけれど。
その口語訳聖書には書き込みや傍線が幾つか残っている。祖父が書いたものだろう。さほど多くはない。だからこそ、一つ一つにメッセージが込められている気がする。祖父はどんな思いでこれを書き、何を考えてこの線を引いたのだろう。その聖書はいつしか聖書を越えて、祖父からの書簡になっていた。
その聖書がきっかけとなって数年前の初春、私は祖父が牧会していた都内の某教会を訪ねた。まだ祖父を知る信徒が数名おられ、話を聞かせてくれた。祖父はよく、教会のベンチに座ってのんびりラジオを聞いていたという。穏やかな人だったそうだ。その祖父の姿が、なぜかありありと目に浮かんだ。その祖父はあの喧嘩した朝、勝手に飛び出した私を心配して追って来てくれた時と同じ、朗らかな笑みを浮かべている。
受賞者コメント
この度は第1回聖書エッセイコンテストに入賞ノミネートして頂き、ありがとうございました。この10年、キリスト教関連の記事を書き続けてきましたが、そこで培ったノウハウが一つの実を結んだように思えて、ご連絡頂いた時はたいへん感激しました。祖父をネタに使ったようで若干後ろめたくはありますが、孫の授賞を天国で喜んでくれていたらいいなと思います。今後もキリスト教について、聖書について、色々な形で書いていきたいと思います。
選評
幼少期、大好きな祖父と喧嘩した原体験。衝突した理由さえおぼえていないのに、朗らかな笑みがずっと記憶に残っていた祖父が牧師だったと知ったのは、亡くなったあとのこと。遺された聖書は、その書き込みから生前の葛藤が伝わり、「祖父からの書簡」となります。訪れた教会のベンチで微笑む姿が目に浮かぶお祖父様は、生死を超越した永遠の存在となりました。人と人を結びつけ、時空を超える感動を生み出す聖書の偉大な力が感じられる、とても印象的な作品です。
(清涼院 流水)
受賞特典
5,000円相当のギフトカード
「『聖書』命との出会い」
井上 英治
エッセイを読む ▼
どうしてあんなに「キリスト教」を忌み嫌っていたのだろう、不思議だ。伝統的な日本の宗教観を抱く家庭環境で育ったとはいえ、アレルギーにも似た負の反応を示していた。軍国少年で「あとは頼んだぞ!」飛び立つ特攻隊を見送ったという父親は、とても保守的な人だった。その影響もあってか、自分も祖国「日本」をこよなく愛し『教育勅語』を暗唱、「八百万の神々がおられる神の国、日本」「日本は宗教に寛容」「日本人は天皇陛下を中心とした一つの家族」そういう思いが肌身に染みついていた。「キリスト教」に対しては「原爆を落とした宗教」「インディアンやユダヤ人を虐殺した宗教」「欧米、白人のための宗教」と、「イエス・キリスト」に対しては「『隣人愛』を説きながら自分は十字架で死んでしまった」「敗北主義で侵略戦争の心理兵器」「自分には関係のない過去の人」と……。『聖書』を一度も開いたこともなく、一行も読んだこともないのに勝手にそう思い込んでいた。「愛」を知らず、「神」を神とも思わぬ傲慢の塊、「罪」そのものだった。
周りに言われるままの人生をただ漫然と送っているうちはそれでもよかった。が、環境が変わり、自分で自分の人生を考えねばならない現実に直面した時。自分で自分の人間関係を構築し、失敗しながらでも社会で生きて行かねばならなくなった時。気づくと自分の周りに人はなく、孤独な自分がただ一人いた。自分は誰で、何をすればよいのか、自分の人生の意味とは?思い悩むようになった。
ある日、テレビで「提岩里教会事件」のドキュメンタリー番組を見た。日本軍が朝鮮の人々をキリスト教会に閉じ込め無残に虐殺した事件。大好きな日本、勇敢な日本兵がまさかそんなことをするはずがない、そう思っていた。が、生き証人がはっきり証言していた。自分の心の中で何かが壊れるのを感じた。図書館で戦前、戦中の資料を読み耽り、あの戦争で日本軍が行った「戦争犯罪の数々」を知り、また、まだ子どものような日本の若者が無謀な戦争で無残に犠牲になったことも知った。悲しかった。それまでの自分の傲慢の砦が崩れ去った。それから、自分自身を探求し人生の答えを求めては仏教思想を学んだり、仏教経典を写経したり読経したりもした。「心の本」もたくさん読んだ。が、「救い」と「希望」の確信を得ることはついにできなかった。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」イエス・キリストの御言葉に触れた時。本当に心が休まる思いがした。すぐに『聖書』を購入し読んだ。自分の「罪」がわかり「十字架の贖い」を知った。誤解と偏見は氷解した。眠る前、祈るようになった。カルバリの十字架が心に迫ってきた。「わたしのためだった」感謝し、涙をもって「イエスこそ、わが主、わが神」信じた。自分は本当に『聖書』に命を救われた。命の書、『聖書』。感謝しかない。
受賞者コメント
栄光在主。第1回「聖書エッセイコンテスト」佳作受賞、誠にありがとうございます。私は1994年6月19日、30歳で洗礼を受けました。受賞作は、約30年前の、悩みの真っ只中で七転八倒していた頃の思い出を綴ったものです。あの時、『聖書』を開き、読み「イエスこそ、わが主、わが神」信じた奇跡。本当に良かった。あの決断がなかったら自分はもういなかったのではないか、そう思います。命の書『聖書』。感謝です。
受賞特典
5,000円相当のギフトカード
「ぼろっちいのが良いんだ」
赤松 真希
エッセイを読む ▼
それは「大学入学共通テスト」がまだ「センター試験」という名前だった頃のことである。次の教科の試験が始まるまでの間、受験生たちは最後の追い込みとして愛用の参考書や教科書を開き、少しでも知識を詰め込もうと躍起になる。受験生だった私もまた、教科書を開く生徒の一人であった。しかし、目的は最後の知識を詰め込むことではない。開いた教科書の陰からこっそりと周囲を見渡し、まわりの受験生たちの参考書や教科書を観察してゆく。
(あれは最近買ったばかりのやつだな。)(あっちはなかなか使い込んでるな。…負けたぜ。)
そう、私は人の教科書や参考書の使い込み具合を観察していたのである。幼い頃から他人のことが気になってしょうがなかった私は、受験という人生のターニングポイントにおいてもその困った性分を発揮させてしまい、人の教科書と自分の教科書を比べて「勝った、負けた」をしていたのである。ちなみに、私の教科書は表紙や側面をわざとなで回して黒くし、「やってる感」を出していた。
そんなこんなで入学したのがキリスト教主義の大学である。必修科目であるキリスト教学の授業のために初めて聖書を手にした私は、こりずに聖書にも細工をほどこすことにした。付箋をはりまくり、側面をなでさすり、たいして意味もないような書き込みをされまくった私の聖書は、見事「読み込んでる風」な装いとなった。そんな細工をほどこされた聖書との付き合いも10年を超えた。かつてほどこされた様々な細工は変わらずに痕跡を残しているが、かつて「読んでる感」を出すために書き込んだメモは時折はっとするような気づきを与えてくれる。「神は野菜より肉が好き?」「神さまはえこひいき」「マルタ、かわいそう」とか。聖書を初めて読んだ時に感じた新鮮な感想たちは、今では口にすることがはばかられるようなものもあるし、かつての競争大好きな自分の片鱗が見えて恥ずかしくなることもある。しかし、同時に初めて神の言葉に触れたときの生き生きとした葛藤を思い起こさせる。学校の成績や見た目、収入、背の高さなど。私たちの周りには人の作り出した多くの価値基準がある。そういうものだと思い生きてきた私にとって聖書を通して示される神の選びは意味不明だったし、今でもやっぱりモヤモヤすることもある。けれど、それでも人を超えた方の深淵な思いを求め、これからも格闘していきたい。私の小細工のせいでぼろっちい見た目になってしまった聖書と今後も長く付き合っていくために、今年のクリスマスはついに聖書カバーを買いたいと思う。
受賞者コメント
私の人生の相棒である聖書との関係を思いつくままに綴ったものを目に留めていただき嬉しいやら恥ずかしいやらですが、今回このような賞をいただきありがとうございます。
このコンテストをきっかけに改めて自分と聖書について考えることができました。これからも人生のパートナーとしての聖書と仲良くしたりけんかしたりしながら歩んでいきたいと思います。
受賞特典
5,000円相当のギフトカード
「深夜に読む本は」
石川 総子
エッセイを読む ▼
やっと子どもの寝息が聞こえてきた。
そっと寝室を抜け出しスマホに手を伸ばす。子どもとの慌ただしい日常のなかで、「時間がない」「余裕がない」とつぶやいては、一人になった途端、SNSや読みかけの本を読むことに費やしている。
空腹のときにジャンクフードを食べても、一向に満足感を得られなくて、もっともっとと、欲しがるようなものだ。ネットや本を開いても、満足感を得られるどころか、私にはあれもこれも足りない、と思わせられるばかり。
「一人になりたい」「自由な時間が欲しい」と言いながら、本当は孤独にもなりきれないし、自由になることも恐れている。子どもが寝静まった後、安易にスマホに手を伸ばしてしまうのは、自分自身と向き合い、自分の心の空虚さを覗き込むことを恐れているからだ。
結婚、出産、育児。ここ数年の内に起こった目まぐるしい環境の変化は、自分が別人になったような錯覚を起こさせる。目的を持って必死に働いていた頃と比べると、小さな子どもと四六時中一緒にいる生活は、どこか手応えがない。
目を上げると、開きっぱなしのクローゼットの中に、ほとんど使っていない革の鞄が見える。大学進学を記念して自分で買った鞄だ。大学に持っていけばすぐに絵の具まみれになってしまうのはわかっていたのに、高価な鞄を身につけて学校に行きたいと思うくらいに私の心は臆病だったのだ。
本棚には、高校生の頃夢中になって読んだ小説が並んでいる。あの頃は、どんなに夜遅くまで勉強をしていたとしても本を1ページでも開かなければ眠らないというくらい、何か必死な思いで本を読んでいた。
自分が生きているということも、生きていてよい、ということさえも自明のものとは思われなかったあの頃、息継ぎをしてわずかに酸素を得るように、小説の中で見つけたわずかな言葉にすがって生きていた。孤独というのなら、あの頃ほど孤独だったことはない。学業も、交友も、願っていた大学生活からも目を背け、ひたすら自分の内面を覗いていた。
一人の青年と出会い、教会に誘われた時は、初めての場所に踏み入れる不安よりも「求めているものがそこにあるのかもしれない」という思いが勝った。
初めて開いた聖書の中には『わたしを信じる者は決して渇くことがない』というイエス・キリストの言葉があった。もしもその言葉が本当であれば、もう、自分を支えるために必死に本を読まなくてもよいのだと思った。聖書のメッセージはあまりにも明快で、誤解の余地はなかった。
『神はわたしを愛している』
生きていてよいと思うのに、これ以上の答えがあるだろうか。
初めて聖書を読んだあの頃と比べると、私の生活は大きく変わった。いくつもの仕事を経験し、家庭を持ち、子どもも生まれた。「幸せ」と呼べるのかもしれないこの生活の中で、本当に私を満たしてくれるものは、今も昔も変わっていない。
どんな時も変わらない、その愛を確かめたくて、聖書に手を伸ばした。
受賞者コメント
「わたしとバイブル」をテーマに文章を書くことで、聖書の言葉がどれほど深く自分の人生に影響を及ぼしたかということに気付かされました。今更ながら、聖書の言葉に心を向け、その内容を信じられたことは不思議でしかありません。でも、「信じたい」と思えたのは、クリスチャンの方の神への真剣な生き方を見たからでした。今回の受賞を機に、わたしもまた真剣に文章を書き続けたいと、そのように思いました。
受賞特典
5,000円相当のギフトカード
「王宮に住むヤモリ」
王宮 ヤモリ
エッセイを読む ▼
箴言30章28節
「好きな聖書の言葉は?」
これは、教会コミュニティでよく聞かれる質問だ。
有名なイエスの言葉、詩編の祈りなど、人気の言葉を選ぶ人が多い。
しかし、わたしは小学生の時、好きな物が被ったクラスメイト女子に
「あんな子なんかと好きな物が被るなんて嫌だぁ!」と目の前で号泣されたのが
トラウマになっていて、人と好きな物が重なるのが怖い。好きな聖書箇所もだ。
わたしはこの数年、好きな聖書の言葉は箴言30章28節だと答えている。
今のところ、「私も。好きな言葉は箴言30章だよ」と言われたことはない。
箴言30章には「この生き物に学びなさい。かっこいいよ、すごいよ」と生き物が4つ
挙げられる。4つ目に登場するのが「王宮に住むヤモリ」だ。最初の3つの生き物は、
動物としての習性が素晴らしいと語られている。しかし、ヤモリは違う。
「手で捕まえられてしまうやもり/だがそれは王の宮殿にいる。」(聖書協会共同訳)
わたしは、この言葉は聖書のユーモアではないかと思う。
王宮は権威的な場所だ。特別な人間しか入る事が許されない。
けれども、小さなヤモリは簡単に入り込み、しかも王宮に住んでいるというのだ。
人間がどんなに国境を定め、一部の人間を追い出し、土地や場所を所有したところで
神様が創造された小さな生き物たちは簡単に入っていく。王宮でウンコをする。
ヤモリの中には鳴く種類もいるらしい。
人間に捕まってキキキキ!と鳴くヤモリの動画を見たことがある。
夜、ヤモリの鳴き声がうるさくて眠れない、ということもあるらしい。
また、家の中にヤモリが大量に入り込み、困っているという記事も読んだことがある。
沖縄のエアコンには「ヤモリガード」なる機能がついているものがある。
なぜなら、エアコン内にヤモリが入り込み、電子基盤をショートさせる故障が多いから。
その時、ヤモリは感電死するわけで、そんな姿を見るのもショックだ。
夜は鳴く、何匹も家に入ってくる、ウンコをたくさんする。これがヤモリだ。
箴言30章に出てくるヤモリも「王宮に住む、お上品なペットのヤモリ」ではなく、
ごくごく普通の、家の中に入り込み、キキキと鳴き、部屋の中にフンを落とすタイプのヤモリだろう。
「わたしは王宮に住むやもりになりたいです」、聖書的でかっこいい。
社会で声が大きく力を持つ人間がどんなに世界を支配したと人間の力を誇っていても、
わたしはヤモリのように「そんなことないよ」と笑うことができる人になりたい。
「あっちにいけ!」と簡単に捕まって外に放り出されてしまいような、小さな存在だけど、
王様の宮殿だろうと関係なしに、神様が創造された地球の中で、堂々と生きるヤモリの姿は勇気を与える。
受賞特典
5,000円相当のギフトカード
「あなたの目は見ておられた」
mika
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詩編139編16節
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書に全て記されている
まだその一日も造られないうちから。
亡くなった我が子の告別式で、牧師が読んでくださった聖書の言葉が、この詩編139編16節でした。
初めて我が子を抱き上げたとき、静かに眠っているように見えて、思わず涙があふれました。
せっかく来てくれたのに、元気に産んであげられなくてごめんね。
小さいけれど、目と鼻と口があり、眉もあり、手足にはしっかり五本ずつの指がありました。女の子でした。
寒くないようおくるみでくるみ、お帽子を着せて、お花をいっぱい敷きつめた棺に寝かせました。手紙と母乳で湿らせた綿棒を一緒に入れました。
斎場で、あかちゃんだとお骨が残らないかもしれないと言われましたが、頭と太ももの骨がかろうじて残っていました。
夫と二人きりで、その小さなお骨を拾いました。
どうかこの子を生かしてください、いのちを救ってくださいという願いを、神さまは聞き届けてくださいませんでした。
産声も上げず、生まれてすぐにお空へ帰ってしまった、わたしのあかちゃん。
そんな我が子を、神さまはまだ胎児であったときからすでに見ておられた、と聖書には記されています。
振り返ってみれば、この子がお腹のなかにいたとき、わたしと夫は幸せでした。
男の子か女の子か分からないうちから名前をあれこれ話し合って、気の早い夫は小学校や中学校の受験のことまで考え始めていました。
わたしたちが家族三人で共に過ごした短くともかけがえのない日々は、神さまの書に全て記録されているはずです。
ヨハネによる福音書で、イエスはこう言われました。
ヨハネによる福音書14章1-3節
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいるところに、あなたがたもいることになる。」
わたしたちのために「場所」を用意すると、イエスは約束してくださいました。
死んだ後に行く場所があると考えることは、ひとが死と向かい合わなければならなくなったとき、わたしたちを支えてくれる希望だと思います。
きっと、イエスご自身が、亡くなった我が子のためにも場所を備えて、神さまのおそばに迎え入れてくださったことでしょう。
不安も恐怖もない、光と喜びに包まれた場所で、永遠のいのちの輝きがあると思いたいです。
神さまが、大切な我が子を与えてくださったことに、感謝をささげます。
少し早くお別れすることになったけれど、神さまのみもとで、いつか再び会えると信じています。
受賞者コメント
このたびはご選出いただき、どうもありがとうございます。
当時のことを思い出すと、自分を責めてしまったり、たくさんの後悔があったり、言葉では言い表せない感情が寄せては返す波のようにやってきます。隠しておきたい、誰にも知られたくないと思う気持ちもあって、迷いながら書きました。わたしがこうして書くことで、どこかで同じように苦しんだり、ご自分を責めたりしているかたのお役に立てればと願っています。
受賞特典
5,000円相当のギフトカード
特別対談
「ことばで伝える
おもしろさ」
第1回聖書エッセイコンテストは2023年3月18日(土)、銀座教文館ギャラリーステラ&オンラインで開催されました。当日は特別ゲストとして、林あまり氏、清涼院流水氏をお迎えし、対談を行っていただきました。
登壇者ゲスト紹介
林 あまり
(歌人、演劇評論家)
東京都生まれ。「聖書協会共同訳」事業協力。
作詞に坂本冬美「夜桜お七」など。
演劇評論家としては紀伊國屋演劇賞審査員など。
清涼院 流水
(作家、英訳者)
兵庫県生まれ。「The BBB」編集長。
型破りのミステリー作品を多数発表。
TOEICテストで満点を5回獲得、英語勉強会を主催。
当日の様子
第2回も企画中!SNSでお知らせします。