第2回 聖書エッセイコンテスト アワード

第2回聖書エッセイコンテストアワードは2024年1月27日(土)、日本基督教団銀座教会5階会議室&オンラインで開催しました。第2回のテーマは「だからバイブルが好き」、応募総数58作品の中から10作品をノミネートし審査発表および授賞式を行いました。当日はゲストとして、林あまり氏、清涼院流水氏をお迎えし、特別対談「聖書の魅力について考える」を行いました。

開催日:2024年1月27日(土) 14:00~16:00
場所:日本基督教団銀座教会5階会議室&オンライン
主催:一般財団法人 日本聖書協会
協賛:キリスト新聞社、カトリック新聞社、クリスチャン新聞

受賞作品発表

「神様の計画」

すず

エッセイを読む ▼

10年前の冬。母がこの世を去ったのは、雪の降り積もる静かな夜だった。
母は敬虔なクリスチャンで、父と私も母に連れられて教会へ通う内に、神様を信じるようになった。教会まで母と手を繋いで歩いた道のり。繋いだ手から感じた母の温かさ。覚えたての讃美歌を歌う私の横で、嬉しそうに微笑む母の姿。そのひとつひとつの思い出が、今も宝物のように私の胸に残っている。

私が中学生の頃から、母は病院に行くことが多くなった。「あなたは知らなくていいから。心配しないで、勉強してなさい。」と詳しい話は聞かせてくれなかったが、それが重い病気であることくらい、私にだってわかる。いつも寡黙な父が、夜中にひとり涙を流していた。その涙が、一層事の深刻さを物語っていた。

母は乳がんだった。見つかった時にはかなり進行しており、母の希望もあって手術は行われなかった。長引く入院生活の中でも、母はいつも聖書を読み、祈っていた。
「なんで母が?」「ねえ神様、いるんでしょう?なぜ助けてくれないの?」そんな気持ちでいっぱいだった私に、母が教えてくれた聖句がある。

『主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。エレミヤ書‬ ‭29:11』‬‬‬

「お母さんもね、時々怖くなるの。あなたの成長をずっと近くで見ていたい。もっと一緒に色んな所に行って、色んな話をしたい。だけど、それが出来なくなるんだなあって。でもね。神様には私たちが想像できないような素晴らしい計画がある。だから、大丈夫。」
真っ白な病室で、西陽に照らされて聖書の言葉を語る母の横顔は、美しかった。抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜け落ち、ふっくらしていた頬もやつれた母。それでもあの日の母は、なんだか絵画みたいだな、と幼いながらに感じたのを覚えている。

高校3年生の冬、センター試験の1週間前の夜だった。母は静かに息を引き取った。試験勉強にも身が入らず、ただ涙に暮れるばかりの私に父が渡したのは、生前母が遺した祈りのノートだった。私が生まれる前から、ずっとこのノートに心の内を書いて祈っていたんだと父は語った。ページをめくると、私のこと。父のこと。教会のこと。人のことばかりで、自分の病気のことは後回し。本当にお母さんらしいな、と思わず笑みが溢れた。私はこんなにも愛されて、祈られていた。それだけでいい。大好きな母との思い出と、大好きな聖書を支えにして、前を向こう。素直にそう思うことができた。

それから無事第一志望の医学部に合格し、今は医師としてがんと闘う患者さんと日々向き合っている。先日、患者さんのお子さんに「私も先生みたいなお医者さんになりたい!」と嬉しい言葉をかけてもらった。ねえお母さん、これも神様の計画かな?

受賞者コメント
このたびは数多くの作品の中から選出していただき、誠にありがとうございます。ノミネートされたと聞いて大変驚きました。天国で母も喜んでくれているかな、ちょっと恥ずかしがってるんじゃないかな、などと思いつつ、母との思い出を振り返っています。ありがとうございました。

選評


すずさま、大賞おめでとうございます。
聖書のことばを語るお母さま。絵画のように美しく、いまも生き生きとお心にあるのでしょう。祈りのノート、なによりの宝物になりましたね。ラストがあまりに素晴らしくて、本当に主のこんなお導きがあるのだなあ、と胸がいっぱいになりました。
(林 あまり)


信仰に導いてくれた敬虔なクリスチャンのお母様が重い病気になった時、若き日の筆者は絶望し、神様へ不信の念も抱きます。ところが、病床で「神様の計画」をひたすら信じ続けたお母様が遺したノートには、他者のための祈りの数々が記されていました。お母様の清らかな想いは、打ちひしがれていた筆者を再生させます。今では医師としてお母様を奪った病気と闘っていらっしゃる筆者の姿に、「神様の計画」を感じずにはいられません。
(清涼院 流水)

受賞特典
3万円相当のギフトカード 
副賞/大型聖書 聖書協会共同訳 引照・注つき
日本聖書協会発行の機関紙「SOWER(ソア)」および、日本聖書協会Webでの掲載を確約。

「隣のバイブル」

fuminaru

エッセイを読む ▼

職場の休憩室で、最後のドーナツを同僚に譲ってしまった。差し入れのクリスピー・クリーム・ドーナツ。痩せ我慢だと思われたくないから、余裕の笑みを浮かべて私はスマホに戻る。ドーナツを頬張る同僚の顔は絶対見ない。いや見られない。そのとき隣でバイブルが言った。
「受けるより与えるほうが幸いです」
ああそうですか。

電車を降りる時、男がぶつかってきて私は派手によろけた。絶対わざとだろ? ぶつけ返してやろうか? そのとき隣でバイブルが言った。
「悪をもって悪に報いないように気をつけなさい」
「あなたの敵を愛しなさい」
「右の頬を打つ者には、左の頬も……」
いやそれは無理。

私はその男の背中を見ないようにして、改札に向かった。バイブルはしばしば説教臭い。優等生みたいだ。それも学級委員でもやっていそうな。
バイブルはいつも隣にいて、事あるごとに話しかけてくる。
「あすのことはあすが心配します」
「さばいてはいけません」
「狭い門から入りなさい」
いちいちタイミングが良くて、ちょっと鬱陶しい。

そんなバイブルに心底嫌気が差したのは、私の教会が解散した時だ。長年仕えた教会があっさりなくなり、私は行き場を失った。どう生きるべきか分からなくなった。
「できるだけあんたに従ってきたのに、なんでこんな目に遭うんだよ?」
「……」

大事な時にバイブルは答えない。こんちくしょう。私は教会に行かなくなり、祈らなくなった。聖書は本棚の一番目立たない一角に追いやった。それ以来、バイブルは話しかけてこない。そのうち存在自体を忘れた。

職場の休憩室で、最後のドーナツを同僚に譲る。小さな恩でも売っておけば、いつか有利に働くかもしれないからだ。「情けは人のためならず」とはよく言ったもの。
教会と関係のない経験を色々した。キリスト教と関係のない本を沢山読んだ。数多くの風景と言葉が頭の中に蓄積された。聖書の言葉は隅に追いやられ、それがあったことさえ忘れた。

ある日、友人に誘われて教会の礼拝に行った。最後に「主の祈り」を歌う。教会で仕えていた頃、大好きだった曲だ。前奏を聞きながら、十年くらい経っているのに歌詞も旋律もちゃんと覚えていることに気が付いた。思わず声を上げて歌っていた。「国と力、栄えは……」歌いながら、胸が締め付けられる。なんだこれ。

頌栄が終わってパイプ椅子に座ると、隣でバイブルが言った。
「平安があなたにあるように」

イエスと弟子たちが朝食を取る、あの湖畔の風景が胸のうちに広がる。朝の日差し。魚の焼ける匂い。イエスの笑顔。私は全部覚えている。
「いきなりなんだよ、今までどこにいたんだよ?」私はバイブルに言う。
「世の終わりまで、あなたとともにいます」

こんちくしょう。私は顔を伏せた。

受賞者コメント
このたびは数多くのエッセイから選出していただきありがとうございます。長く親しんだバイブルはいつの間にか私の血となり肉となり、良くも悪くも離れがたいものになっています。そんな「相棒」としてのバイブルを表現しました。これからもバイブルを隣に感じながら、人生を歩んで行くと思います。ありがとうございました。

選評


うまいエッセイだなあと読み進めていって、びっくり。教会が解散!それは‥辛いなんてものではないですね。最後のところで、ああ、良かったと思いましたが、決してメデタシメデタシの話ではないとしみじみ思いました。
バイブルが「言った」という書き方に臨場感があります。私もそのようにバイブルに耳を傾けたい、と思いました。
(林 あまり)


自分の隣にあるバイブルを擬人化し、なにか事件が起きるたびにバイブルが説教するように語りかけてくる着想が、とてもユニークです。個性すら感じられるうまい描き方なので、バイブルがいのちを持ち、愛すべきキャラクターになったように思えてきます。そんなバイブルといったんは別れることになったものの、歳月を経て再会した時に迎えてくれる様子にも一貫した性格がきちんと描かれていて、見事な表現力に感嘆しました。
(清涼院 流水)

受賞特典
1万円相当のギフトカード 
副賞/中型聖書 聖書協会共同訳(引照・注なし)
日本聖書協会発行の機関紙「SOWER(ソア)」および、日本聖書協会Webでの掲載を確約。

「幸い!心貧しき、私の夫」

ヨグソミネバリ

エッセイを読む ▼

心の貧しい人々は、幸い。天の国はその人たちのもの」マタイ5:3

クリスチャン歴=人生の半分。生業もキリスト教関係。そんなキリスト教漬けの私が納得できずにいた聖句。
特に、私の夫・カッちゃんを見て「心貧しい者の、どこが幸いよ」とつぶやいていた。

カッちゃんは教会の牧師。
今年4月に発達障がい(ASD/ADHD)と診断を受け、こころのクリニックに通院している。
病院からもらった漢方薬を毎日飲んでいる。心が不安定になった時に飲む薬も持っている。
カッちゃんのお父さんは牧師。おじいさんも、ひいおじいさんも牧師。
日本における女性牧師の草分け的存在として1920年代に活躍した親戚もいる。
でも、カッちゃんは自分が「キリスト教版・華麗なる一族」だと誇ることはない。
牧師家庭に生まれ育ったことで傷つき、悩んできたから。

カッちゃんは教会育ちで(当時は分からなかったけれど)発達障がいがあって、ちいさい時から自分が周囲と違うことに気づいていた。
牧師の長男なのだからと親に諭され、自分のやりたいことを我慢したり進路を諦めたりもしたという。
カッちゃんがポツポツと口にする思い出には、大人の私が聞いて怒りに震えるような、クラスメイトたちからの酷いいじめ体験も多い。
カッちゃんは牧師になるための学校でも「鈍臭い、要領が悪い」とからかわれていた。
緊張してつっかえながら話す姿を見て「本当に牧師になるのかよ」といじった同級生たち。
10年以上経った今でも、私はあいつらの顔を忘れない。
カッちゃんを見下す態度を取っていた人たちが、今は礼拝で「心貧しい者は幸い」と偉そうに語っていると思うと、胸クソ悪い。
心貧しき者の、何が幸いなのだ!
不器用なカッちゃんより、世渡り上手な連中の方が牧師として評価されているではないか!

だけど、カッちゃんと結婚して聖書の意味に気づいた。
カッちゃんは他人を悪く言わない。人から決めつけられる苦しみを痛いほど知ってるから。
カッちゃんは他人の悩みを否定しない。「言い訳だ、怠けだ」と責められ落ち込んできたから。
カッちゃんの長年の友人たちは、心が柔らかい。生きづらさを抱える人もたくさんいる。
カッちゃんの周囲には、安心して弱音を話せるあたたかい雰囲気がある。
優しい世界が広がっていく。

キリスト教業界や教会の中では、話し上手で有能な牧師が評価されるかもしれない。
だけど、聖書はそうじゃない。
イエス様は、カッちゃんみたいに心の弱りを覚える人に語りかけたのだろう。
「幸い!心が弱り切った者!あなたたちから、神様の思いは広がっていくんだよ」
「あなたたちの感性や命は、この世で希望の光になれるんだよ」と。
カッちゃんを嘲笑したかつての同級生たち!
あんたたちは言葉が巧みで、さぞかし調子よく礼拝で語るのでしょう。
私は世間がどう言おうと、聖書の言葉を信じる。
「心弱り切った者たちから広がる天の国、神様の思いが染み渡る世界」を祈り求める。

受賞者コメント
「この人たちが黙れば石が叫ぶ」という聖句を知りながら「教会の砂利程度の音しか出ない私の叫びなど見向きもされないだろう」と思っていました。ふだん信仰生活における愚痴や怒りは、神様に祈って投げつけるかノートに書きなぐっています。こんなんでもクリスチャンです。今回、ノミネート作品の中に入れていただき感謝です。

選評


怒りの向こう側の、優しい世界に辿り着いた方なんだなあ、と味わい深く読ませていただきました。こんなに愛される「カッちゃん」も、優しさにあふれた方なのでしょう。試練のなかで、みことばのそれまでと違った理解が示されたこと、豊かな恵みですね。
(林 あまり)


代々牧師という家庭に育ったカッちゃんは、幼い頃から周囲に傷つけられ、牧師になるための学校では同級生たちにからかわれながらも、決して他人を悪く言わず、否定せず、周囲に優しい世界をつくり出します。そんなカッちゃんと結婚した筆者は、かつてカッちゃんを傷つけた人たちへの憤りを抱えながら、世渡り上手の牧師たちではなくカッちゃんこそが聖書にある「心貧しき幸いな者」だと信じ、力強いメッセージが胸を打ちます。
(清涼院 流水)

受賞特典
1万円相当のギフトカード 
副賞/中型聖書 聖書協会共同訳(引照・注なし)
日本聖書協会発行の機関紙「SOWER(ソア)」および、日本聖書協会Webでの掲載を確約。

「わたしの光」

おおやま ゆみ

エッセイを読む ▼

私の人生に光はなかった。むしろずっと闇。幼少期は父がギャンブルに溺れ、電気もガスもない暮らしをした。やがて「なんで父は帰って来ないのだろう」という問いが「なんで母は父を捨てないのだろう」という不満に変わる頃、母はわたし達を連れて家を出た。

しかし、その後の暮らしもずっと闇。母は病気がちになり、兄もギャンブルに手を出す始末。何日も食べない日が続き、やがて住まいも追われる羽目に。
その日ベンチで横たわっていると一人の男性に声をかけられた。

「大丈夫ですか」

どうやらこの辺で炊き出しをしている牧師らしい。私が「自分は何のために生きてのるかわからない。もう死にたい」とこぼすと、あたたかいお茶を差し出して「明日の朝九時。交番前公園で集会をします。炊き出しもありますので良かったら来てください」と言った。

翌日。公園には30分前から15人ほどのホームレスの人たちが集まった。中には薬物に溺れた人や、住まいを追われた人もいた。

牧師は全員にお弁当とトラクトを配ると「今日の御言葉」として、聖書の一節を読んでくれた。

またある時は『炊き出しの列に並ぶイエス』の絵を見せながら「このようにイエス様は私たちと同じところまで降りてきて、同じ目線で光を与えようとしてくださったのです」と言った。それを聞いたら何だかチカラが沸いた。家族が離散したことも忘れ。帰る家がないことも忘れ。聖書の言葉が真っ暗な未来に『光』を与えてくれたことは間違いない。

かくいう牧師も炊き出しを始めたのはトラクト配りがきっかけだったらしい。雨の日も、雪の日も、世間の視線が冷たい風の日も。牧師がトラクトを配っていたら、ホームレスの方たちが手伝ってくれたという。

「支えているように見えて、実は私もあなた方に支えられているのですよ」

牧師はそう言うとわたしに聖書をくれた。私はそれを読みながら涙が止まらなかった。私も誰かの支えになっているのなら。イエス様が光を下さっているのなら。天涯孤独な人生にも、生きる価値や、意味が、あるのかもしれないと思えた。

そして昨年。久々にふるさとに戻ると牧師はすでにお亡くなりになったと聞かされた。私は間に合わなかった時間の重さと受けた恩の深さに呆然とした。

だが彼がはじめた『集会』はまだあの公園で、ひっそりと、続いていた。彼の思いと、祈りも、一緒に。

今も聖書を読むと思い出す。あの公園で私たちを包んでくれた牧師のまなざし。そう。私たちにとって彼の存在こそ光だった。一番暗いときも、一番苦しいときも、未来を照らす光だった。

今なら 伝えられるだろうか。
聖書で私たちを救い、導いてくれた牧師に。
あの時はありがとうございました。私はこれからもイエス様と共に、あなたの思いを胸に、どんなに暗い道でも前に進んで行きます。

受賞者コメント
この度はありがとうございます。エッセーにもある通り、私の人生は暗いことばかりでした。生きることがこんなにも苦しいなんて。しかしそんな私を聖書や牧師は支えてくれました。今はただ生きているだけでも幸せだと思えます。この感謝を胸にこれからも前を向いていきたいです。

選評


炊き出しをなさって、お弁当とトラクトを配る牧師さん。ベンチに横たわっていたとき、その牧師さんとの出会いで「何だかチカラが沸いた」と仰ることばに、嬉しくなりました。最後のところ、天国の牧師さんがどんなにかお喜びになるでしょう。私にとって、特に心に残る一篇でした。
(林 あまり)


なにも希望を見出せないどん底の暗闇にいた時に、炊き出しに誘ってくれた牧師の言葉が筆者の人生を変えます。牧師から聞いた聖書の言葉は筆者の「光」となり、生きる活力となって筆者は歩み始めたのです。久々に帰省した時、恩人の牧師は亡くなっていましたが、彼の始めた公園の「集会」は今も続いていました。同じく牧師から託された「光」は今も筆者の中にあり、どんな暗闇でも筆者を照らし続けているのだと感じられました。
(清涼院 流水)

受賞特典
5,000円相当のギフトカード
副賞/中型新約聖書詩編・箴言付き 聖書協会共同訳

「神様のことばと気迫」

伊藤走

エッセイを読む ▼

私は高校時代、ボクシング競技の全国大会で銀メダルを獲得した。東京の私立大学にはスポーツ推薦で入学し、授業料を免除していただいた。50メートル走はクラスにいる男子の中で最下位、バスケではドリブルができない、体操は大の苦手…。運動能力が元々高くない私がボクシングで全国レベルの能力を身につけることができたのは、父親のおかげだ。私の父は、穏やかな性格を持って生まれた私が「もっと男らしくなるように!」と考えて、ボクシングを選んだ。未経験者にもかかわらず、本や映像で研究し、ほぼ毎日私に教えてくれた。涙だけではなく血が出たこともあった。でも、その厳しさは愛する息子が試合でダメージを受けないようにするためであると分かっていた。父の愛を確信していたから、14年間父親とチームでボクシング競技を全うすることができた。

ボクシングの試合では、ラウンドの間に1分間の休憩時間がある。リングサイドに座って監督に水をもらったりアドバイスをもらったりする。この1分間に監督がどんな態度でどんな言葉をかけるのか?ということは選手の次のラウンドの動きにかなり影響する。
私が試合していた時は、父がいつも応援席にいた。私はセコンドの声よりも父の言葉が聞きたくて、応援席を見ていた。父は大声でどのように戦うべきかを叫んだ。その言葉と気迫によって、私はエネルギーをもらった。1ラウンド目よりも2ラウンド目の動きが良くなった。2ラウンド目よりも3ラウンド目がさらに良くなった。肉体はラウンドを追うごとに消耗しているはずなのに、父の言葉と気迫によって、私はパワーアップした。

ボクシング競技を終えて、社会人になり、聖書を毎朝読んで祈るようになり、神様と私の関係に似たところがあることに気がついた。1日が1ラウンドだとしたら、今日という1ラウンドを勝ち抜くために、天の父である神様のことばと気迫が必要だ。ボクシングの試合中、私の父はものすごい大声でアドバイスをしてくれた。特に、相手が強敵の時は必死の声だった。私の人生においても、大変な時がある。辛い時がある。思ったようにいかない時がある。そのような時に、天のお父さまは、必死に声を張り上げていると思う。慰めのことばや的確なアドバイスを用意していると思う。たとえ負けてしまった時でも、一緒に泣いてくれて、また立ち上がって「やろう!」と言ってくれるのが父だ。だから、私は敵の野次や偽りのアドバイスに惑わされないで、天の父のことばを聖書から待ち望む。

この文を書いている今の私は、父と同じ牧師になることを志している。午前中に聖書の学び、午後に仕事、夜は教会のミニストリーといった日々を送る中で、毎日は決して自分の思い通りには運ばない。最高の気分の時も最悪な気分の時もある。それでも、天のお父さんが聖書からことばを与えてくれる。だから、私は今日も今日という1ラウンドを戦う。

受賞者コメント
この度は数多くの作品の中から選出していただき、本当にありがとうございます。エッセイに書かせていただいたドラマも今回の受賞も神様から私への贈り物です。神さまとみなさまに感謝しています。ありがとうございました。

選評


穏やかな性格の筆者が高校時代、ボクシング競技の全国大会で銀メダルを獲得したのは、14年に及ぶお父様からの厳しくも愛あるご指導の賜物でした。そんな筆者は社会人になって聖書を読むようになると、かつて筆者がお父様の激励で戦えたように、今日という1ラウンドを戦うには天の父である神様のことばと気迫が必要だと気づきます。ボクシングの応援のように神様は激励してくださっている、という視点が強く印象に残りました。
(清涼院 流水)


ボクシングのラウンドに例えてのお話、とても新鮮です。今日という1ラウンドを闘うためには、神さまからのことばと気迫が必要なんですね。 お父様と足並み揃えてボクシングを頑張ったことで、聖書の学びにそれが生かされ、天の父なる神さまとしっかりつながることができるなんて、素晴らしいですね。
(林 あまり)

受賞特典
5,000円相当のギフトカード
副賞/中型新約聖書詩編・箴言付き 聖書協会共同訳

「だから私は、バイブルが好きだ」

はとむぎ

エッセイを読む ▼

子ども騙しの本か、と思った。

もともと本が好きだった私は、特に装丁が立派な分厚い本が大好きだった。世界文学全集とか、ミヒャエル・エンデのはてしない物語とか。内容ももちろん素晴らしいのだけれど、「本」という物それ自体も私の憧れの対象だった。あるとき、無人島に1つだけ持っていけるとしたら何を持っていくのかという質問が流行ったのだが、私は断然本を持っていくと思いながらも、ふとなんの本を持っていこうかと悩んでしまった。無人島に持っていきたい本、いや、それ以上に、一生を共にできる本が、私はほしかった。

小学生の頃だったか、それとももう中学生になっていただろうか。海外の文学作品には聖書の引用がたくさん含まれていることに気付いた私は、聖書にも興味を持ちはじめた。さっそく親に頼んで注文してもらった聖書は、小型聖書だったけれども、分厚くて、文字がいっぱいで、まさに憧れていた「本」だった。ただただ手に持っているだけで嬉しかったけれど、読書家としては読破しなければと張り切って、律儀に最初の1ページ目から読み始めた。そうして出てきたのが冒頭の感想である。誰もが進化論を知っている日本で、子どもでもビッグバンという言葉を知っている時代に、一体何を読まされているんだ。神ってなんなんだ。捧げ物なんて動物がかわいそうじゃないか。

そうしていつも挫折した。
そうしていつも手に取った。
わけがわからなかったけれども、それでも読みたいと思った。ここにはなにかがあると、信じていた。
本棚の隅で忘れ去られている時期もあった。
毎晩必死に読んで、いつも枕元にある時期もあった。
決して、手放すことはなかった。

今、私は大学で聖書を学んでいる。
今でもわからないことでいっぱいだ。大学で学べば昔の疑問が全て解決すると思っていたし、まるで推理小説の解決編にでも入ったかのように聖書が分かるようになると思っていたのに。それでもがっかりはしない。むしろわくわくするのだ。子どもの頃の私は一生を共にできる本を求めて文学を読み漁ったが、今なら分かる。それは聖書だったのだと。
読むたびに新しい発見があり、驚きがある。困惑がある。嘆きがある。悲しみがある。笑いがある。喜びがある。わからない。わからないけれども、「でも」、いや、「だから」、私はバイブルが好きだ。

受賞者コメント
この度は数多くの素晴らしい作品の中から選んでいただき、本当にありがとうございます。軽い気持ちで書き始めたエッセイでしたが、自分と聖書の出会いを振り返るとても良い機会になりました。このエッセイが、聖書を手に取るほんの少しのきっかけにでもなれば幸いです。この度は本当にありがとうございました。

選評


今もわからないことがいっぱいだけれど「がっかりはしない」という姿勢がステキですね。何度読んでも、何歳になっても、新しい発見があるのが聖書の大きな魅力ですよね。これからの学びにますますの祝福をお祈りいたします。
(林 あまり)


最初は本が大好きな気持ちの延長として読み始めた聖書。その不可解さへの正直な当惑と、それでもなぜかいつも気になる不思議な感覚が、活き活きと伝わってきます。似たような経験をして共感できる方も、きっと多いでしょう。聖書への複雑な、でも決してネガティヴではない好きな気持ちが見事に表されていました。
(清涼院 流水)

受賞特典
5,000円相当のギフトカード
副賞/中型新約聖書詩編・箴言付き 聖書協会共同訳

「苦しみに勝る希望があるということ。」

米村かなこ

エッセイを読む ▼

高校の卒業式の帰り道、張り詰めていた糸がプツンと切れた。
電車内で息が苦しくなり、次の駅で慌てて降りた。その日をきっかけに電車が怖くなり、人混みが怖くなり、いつもの道が怖くなり、気づいたら家から一歩も出られなくなっていた。
小学生の時から体調不良に悩まされ通院していたが、「普通の」学校生活を送りたくて、自分の心身が発するSOSを無視し続けた結果のように思う。私は「普通」なんて不確かなものに縋ることでしか自分の存在価値を見出せなかった。

そして私は引きこもりになった。

数ヶ月経った頃、引きこもりの自分を受け入れられなかった私は、外に出る練習を始めた。今日はあの電柱まで、次はもう一つ先の電柱まで……と、距離を伸ばしていったが、不調の波が来て数ヶ月空くと、また最初からやり直しになった。
前進したいのに、治したいのに、何をしても空回りするだけだった。

引きこもりになってから約8年が過ぎた昨年の初め、体調が悪く寝たきりの日々が続いていた。
私はもう諦めようと思った。自分の人生を捨てようと思った。
そんな時ふと、数年前にクリスチャンの友人が聖書の言葉を送ってくれたことを思い出した。
自分の人生を終わらせる前に、少し読んでみようと思い、聖書アプリで読み始めると、どんどん私の心に染み渡っていった。
ヨハネの福音書19章17節「イエスは自分で十字架を負って……」の部分を読んだ時、イエス様が十字架を背負う姿が迫ってきて、私はそこで神様に出会い、私の心は大きく変えられた。
この世にあって苦しみや悲しみを避けては生きられない(ヨハネの福音書16章33節)。そんな世界で、聖書の言葉は苦しい時に私を励まし、支え、いつも傍にいてくれる。神様は一人一人に優しく語りかけてくださる。
出来ていたことがだんだん出来なくなっていくたびに悔しさやつらさが込み上げる。私は何もできない、何の価値もないと。
しかし聖書には、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。(イザヤ書43章4節)」と書かれている。神様は何もできない私をありのまま愛してくださり、その命の価値は変わることがないと教えてくれた。

1年以上経った今も状況が変わったわけではなく、不調に悩み、ほとんど外出もできない。
でも、今の私には聖書があり、苦しい時も神様が共にいてくださり、一緒に苦しみを乗り越えていけることが何よりの支えになっている。聖書の言葉は、私にとって希望そのものだ。
これからの人生がどのようなものであっても、一度は諦めかけた私をどん底から救ってくれた聖書の言葉は、神様は、変わることなく私と共にある。

「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。
それにより 私はあなたのおきてを学びました。」
詩篇第119篇71節より。

受賞者コメント
今回素敵な機会を頂き踏み出せたことに感謝します。さらにノミネート作品に選んで頂けたことをとても嬉しく思います。苦しみに勝る希望があると知りながら、目の前の苦しみに覆われ絶望することも多々ある弱い私ですが、この希望が必ず泥沼から引き上げてくださいます。御言葉に支えられながら、今日も歩んでいきたいです。

選評


「張り詰めていた糸がプツンと切れた」、その瞬間がどんなだったかと思うと。それからの日々がどんなにお辛かったか。「わたしの目には、あなたは高価で尊い」のみことばが、強く響いてきました。
(林 あまり)


生きづらさを感じ、人生をリセットしたいと感じた時に出会った聖書の言葉が心に響き、そこから今もまさに再生、新生しつつある確かな歩みが感じられました。人生の苦しい時にも神様は、いつも共にいてくださる。その事実を聖書から実感できることを、リアルな実体験の証言から改めて教えていただきました。
(清涼院 流水)

受賞特典
5,000円相当のギフトカード
副賞/中型新約聖書詩編・箴言付き 聖書協会共同訳

「私は宗教二世」

kim202235

エッセイを読む ▼

私は、母のお腹の中にいる時から教会に通っていた。いわゆるクリスチャンホームで生まれた。そして私の父は牧師だった。小学校一年生の頃、「自分は神様を信じています。」ということで洗礼を受けた。信仰告白も書き、教会員の前で読んだ。純粋な心で神様を信じていた。何もかも新鮮で何もかも美しく見えた。小学校三年生ぐらいの時に、自分と他の人との違いに気付いた。そう、他の人はノンクリスチャン、僕はクリスチャン。この違いが私を苦しめることになる。

私の父は冷たい人だった。息子よりも神様を大事にし、私とのふれあいは二の次だった。私の母は、厳しい人だった。有名な大学を卒業した母は、誰よりも勉強と聖書を愛していた。そのせいか小さい頃から私は、ひたすら勉強と聖書を学んだ。これにより、日曜日には外出はもちろん運動会にも行けなかった。また、学校から帰っても夜遅くまで勉強しなければならなかった。このような小学校時代を過ごした私の心の奥底には、密かにストレスと憎しみと怒りが溜まっていった。そんな私に親はよくこう言った。「神様はあなたを愛しておられる。」と。私はそんな親が大嫌いだった。もちろんその親が教えている聖書も大嫌いだった。

そんな私に変化が起きたのは、中学校三年生の頃であった。反抗期真っ只中である。私は親の教育に反抗し始め、教会に行かなくなった。毎日、親と喧嘩し家出もした。そんな私を見て、姉は言った。「あなたが母さんや父さんを嫌う気持ちは分かる。母さんと父さんは、嫌われる程の事をあなたにしたから。でもなんであなたは神様も嫌うの?神様は、あなたに何もしてないじゃん。大体、あなたは神様のこと全然知らないでしょ。神様の気持ちとか愛の大きさも。」と。そして私の机に聖書を置いて、いなくなった。私は呆然としてしまった。そして恥ずかしくなった。姉に何も言い返すことができない自分の心が、自分の姿が。

そんな事があってから私は、真剣に聖書を読み始めた。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(ヨハネの黙示録三章二十節)」この聖書箇所は、私がいちばん最初に覚えた聖書の言葉であり、私にいちばん大きな影響を与えた言葉だ。閉じ籠っていた私に、新たに踏み出す勇気と力を与えてくれた神様の力を感じた。私は聖書のおかげで神様を、自分を、家族を愛することができた。みじめで愚かで弱いそんなクソみたいな私に愛をくれたのだ。だから私は聖書が好きだ。愛を与えてくれた聖書に、いや神様に今度は愛を返して生きたい。

受賞者コメント
今回は、私の作品を選んでくださりありがとうございます。私の文によって、私のような宗教二世の学生さん達が自分の受けた苦しみや思いを述べるようになればと願っています。

選評


こんなに大変な環境だったのに、自ら聖書を読むようになるなんて!しかも「聖書のおかげで神様と自分と家族を愛することができた」と言えるようになるなんて!ただただ驚くばかりです。人を見るよりまず、神さまを見つめることができたんですね。いろいろと考えさせられました。
(林 あまり)


クリスチャン・ホームに生まれた「宗教二世」だからこその苦悩は、一度はご両親と聖書への強い嫌悪となりました。ですが、お姉様の愛ある力強い導きでふたたび聖書と向き合うようになると、聖書の言葉から勇気を得て、与えられた環境にただ従うのではなく心から納得して神様とご家族への愛を取り戻す姿が感動的です。
(清涼院 流水)

受賞特典
5,000円相当のギフトカード
副賞/中型新約聖書詩編・箴言付き 聖書協会共同訳

「ヒーローに会いに行く」

吉國選也

エッセイを読む ▼

ある日私はうつ病になった。心の病だ。

四桁の数字が覚えられなくなった。相手の言葉がうまく理解できなくなった。まぶたがいつもけいれんしている。そして体中が痛い。人に会うのも人混みに入るのも恐ろしい。カレーライスが味気なく感じる。息抜きにと小説を読むと目が回って吐き気がする。私は本屋の店員なのに何たる体たらく。すべてが悪い冗談のようだった。

心療内科を受診すると、医師は今すぐに長期休暇を取るよう私に勧告した。診断結果は身体表現性障害。心の病を我慢し無理に抑え込んだストレスが悲鳴のように体中を痛めつけていたのだ。それから苦しい闘病生活が始まった。働き盛りのど真ん中で、心も体もボロボロの状態となってしまった。

私は小さい頃から聖書を読んでいた。福音書に登場するイエス様に憧れた。時の権力者を恐れずに正しいことを叫び、人々を救っていくイエス様は私のヒーローだった。しかし心の病になってから、それまで毎日のように開いていた聖書を開かなくなった。文字を読むのがつらかったのもあるが、イエス様のように生きられない自分はもう聖書を読む資格などないと思った。

そうして一進一退の病状を繰り返して丸四年が過ぎた。仕事にも復帰し、その頃には短い文章なら読めるほどには健康も回復していた。ある日ふと、再び聖書を開いた。何かおかしい。読むうちにイエス様よりも、やたらと周囲の登場人物が気になっている。

例えば支配者に協力して税を取り立てていた嫌われ者の取税人ザアカイ、例えば物乞いをしなければ生きていけなかった盲目のバルテマイ、例えば十二年もの間長血を患い出血が止まらなかった女性。社会から疎外され、あるいは負い目を抱えて生きていた人々の痛みが、私の心にとげのように刺さってくる。それはきっと私自身が傷つき、痛みや悲しみを通ったからだろう。彼らとイエス様の間で繰り広げられる救いの物語が、まるで自分のことのように胸に迫ってきた。

年が明けて、会社の新年行事でスピーチをしなければならなくなった。新年のおめでたい時に、その年の年男と年女がスピーチをする。今どき古臭い社内行事だが、とにかく四十八歳になる私は皆の前で話をしなければならない。社員皆の前で。

司会者に促されて立ち上がり、マイクを握った。不安と緊張で口が乾き、頭は真っ白になっている。その時。私の口から出てきた言葉は、この数年間支えてくれた同僚や上司、家族へのあふれる感謝だった。話しながら自分でも何を言い出したかと驚いた。驚きながら涙がとめどなく流れてくる。数年ぶりに流す心地よい涙。それは聖書を読んで私の心が救われた証だった。二千年前に書かれた記事と同様に、聖書は今も人々を救い続けている。そのことが私の身にも起こった証だった。

そういうわけで時を経て私はもう一度聖書を好んで読んでいる。それは私の大好きなヒーロー、イエス様に会いに行くことだからだ。

受賞者コメント
今回は、私の作品を選んでくださりありがとうございます。私の文によって、私のような宗教二世の学生さん達が自分の受けた苦しみや思いを述べるようになればと願っています。

選評


心の病を経て、聖書の読み方が変わってきた、周囲の登場人物に注意を向けるようになったというところ、深く感じ入りました。
イエスさまは、強いヒーローというより、弱い者のためのヒーローなんですね。スピーチの最後が、感謝であふれた場面は、まるでそこにいるような気持ちになりました。
(林 あまり)


働き盛りの年齢で蓄積した仕事のストレスで発症したうつ病は、幼い頃から読み親しんだ聖書を遠ざけるほどの大変な状態でした。やがて、ふたたび読み始めた時に、かつては特に意識していなかった聖書の中の弱い登場人物ばかりが気になり、彼らとご自分を重ねることで次第に救われていったお話に強く胸を打たれました。
(清涼院 流水)

受賞特典
5,000円相当のギフトカード
副賞/中型新約聖書詩編・箴言付き 聖書協会共同訳

「信者ではないけれど」

すずきまなみ

エッセイを読む ▼

バイブル、いわゆる聖書。
これを愛読書だと公言するのは、少し憚られる。何度かそれで驚かれた経験があるからだ。
また、これを愛読書だと言うくせに信仰心を持たないと言うと、それはそれで驚かれる。
別にいいじゃないかと思う。
聖書は面白いのだ。私は読み物として、聖書を好きだ。

他の人にとっては宗教の本かもしれないが、私にとってそれは別の意味を持つ。導かれたことも、励まされたことも特にないが、私は聖書が好きだ。
私の好きな箇所はサムエル記のタマルとアムノン、アブサロムの話だ。ダビデの親馬鹿っぷりがリアルに表現されている。
物語としては単純で、アブサロムが実妹のタマルを犯した異母兄のアムノンを復讐し殺す話なのだが、なんともいえないねっとりとした味がある。例えばダビデが、可愛がっている長男のアムノンの罪を見逃すところや、アブサロムが二年も憎悪を抑えて復讐の機会を窺っていたところなどは、人間の陰険さというか、むしろ人間らしさそのものが表れているようで大変面白い。ことの発端となったタマル王女は途中から全く描写されなくなるのも、この話の物語性を強めているように感じる。
私はタマルが好きだ。敬愛すらしている。純粋さと素直さ、優しさに足を掬われてしまった報われなさ。父親の犯した罪に神が罰を与えるためだけに踏み躙られたその人生が、哀れで可憐でたまらない。

そんな彼女との出会いは、高校生の時だった。
初めて出会った時は、あまり心を惹かれなかった。危機に陥った時に兄を頼るなんて、ブラコンじゃないかと鼻で笑った。しかし何度となく読み返すうちに、彼女の心には芯があり、強さがあると気づいた。いつしか私は、彼女に幸せになってほしいと願うようになっていた。
身内に犯され結婚はできない。父親は庇ってくれなかった。兄は皇太子殺しの罪で国外逃亡。身分も美貌も教養もあるのに、ただ一点の悪意に飲み込まれてしまった人生を、不幸と言わずになんと言おう。
いつか、彼女は幸せになれるのか。何万文字も紡がれた物語群は、それを教えてはくれない。
仕方なく、高校生の私は自分で文章を書き始めた。タマルが幸せになれたかわからないならば、私が幸せにするのだ。王子がタマルを傷付けるなら、純朴な村の青年にタマルを救わせる。悲恋になんて絶対にさせない。タマルと村の青年Aの恋物語を書き上げて、初めて私は創作の楽しさを知った。

私に文章を書く楽しさを教えてくれたのは聖書だ。いくつかの物語は、歴史上の出来事と関連があり、どこからが創作なのか、どこまでが脚色なのか、判断がつきにくい。「本当のことだったのかもしれない」と思いながら読める、ロマンあふれる本だと思う。
だから私は、バイブルが好きだ。
読み物として、歴史書として

受賞者コメント
ノミネート作品に選んでいただき、誠にありがとうございます。小学生に遡ってもコンテストで賞をもらった経験がないので、本当に私のことかと驚いています。聖書を楽しんでくださる人が一人でも増えれば嬉しいです。

選評


聖書がきっかけとなって、創作をするようになられたというお話で、たいへん興味深いです。いまは二次創作というのが盛んですが、聖書をもとに、いろいろな話を創作してみるのは、聖書の理解にも役立ちそうですね。
(林 あまり)


信者ではないけれど聖書が好き、と冒頭から断言していて爽快です。そして、聖書の中で悲惨な境遇を辿ったアブサロムの妹タマルに同情し、彼女を幸せにするためにご自身でタマルが幸せになる物語を創作した、という展開が素晴らしく、信者ではないけれど確かに聖書が好きだという気持ちが伝わってきました。
(清涼院 流水)

受賞特典
5,000円相当のギフトカード
副賞/中型新約聖書詩編・箴言付き 聖書協会共同訳

第1回聖書エッセイコンテストは2023年3月18日(土)、銀座教文館ギャラリーステラ&オンラインで開催されました。当日は特別ゲストとして、林あまり氏、清涼院流水氏をお迎えし、対談を行っていただきました。

登壇者ゲスト紹介

林 あまり
(歌人、演劇評論家)

東京都生まれ。「聖書協会共同訳」事業協力。
作詞に坂本冬美「夜桜お七」など。
演劇評論家としては紀伊國屋演劇賞審査員など。

清涼院 流水
(作家、英訳者)

兵庫県生まれ。「The BBB」編集長。
型破りのミステリー作品を多数発表。
TOEICテストで満点を5回獲得、英語勉強会を主催。

当日の様子

オープニング(日本聖書協会 広報部 高橋職員)
開会挨拶(具志堅総主事)
授賞式のようす(吉國選也さん)
大賞発表のようす(「神様の計画」すずさん)
会場のようす
ノミネート作品の一覧
特別対談のようす
記念写真(左から松谷信司氏、林あまり氏、清涼院流水氏)
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