60年目の実りの秋

1961年に建立された頌徳碑
伊勢湾を静かに見つめる音吉

現存する最古の和訳聖書、ギュツラフ訳『約翰福音之傳』(よはねふくいんのでん)は、1837(天保8)年にシンガポールで出版されました。その翻訳に関わった日本人が、岩吉・久吉・音吉の3名(略して「三吉」)の船乗りでした。聖書事業における貴重な功績を記念して、1961(昭和36)年に記念碑が三吉の故郷である愛知県美浜町小野浦に建てられました。この事業に関わったのが日本聖書協会第3代総主事の都田恒太郎でした。それ以来、彼らが江戸に向け鳥羽を出帆した10月上旬に時期を合わせ、毎秋「聖書和訳頌徳碑記念式典」を聖書協会と美浜町小野浦区とが交互に主催を入れ替え、彼らの14か月にも及ぶ漂流の苦難と、その後の大きな業績に思いをはせる会として60年間にわたり継続されてきました。

ひとことに60年と言いましても、そこには数多くのドラマがありました。三吉をモチーフに、作家の春名徹氏は、のちに大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する「にっぽん音吉漂流記」 (中公文庫)を世に出し、三浦綾子氏は小説「海嶺」 (角川文庫)に昇華させました。『海嶺』は1983年に映画化され(主演:西郷輝彦、竹下景子)大きな話題となりました。現職の美浜町長の傍ら音吉顕彰会長も務める齋藤宏一氏の長期間に渡る音吉たちの足跡についての調査の功績、美浜町小野浦区と町役場の記念事業としての協力、東海地域の教会の支援などがあって、聖書協会としても広報活動の一環としてここまで続けることができました。喜ばしいことに、今年5月には「聖書和訳頌徳碑」からすぐ近くに「廻船と音吉記念館」が開館し、三吉らが乗船していた千石船「宝順丸」の帆や竃といった備品(模型)を始め、米国や英国を巡りマカオまでたどり着いたその足跡も知ることが出来ます。(詳しくは美浜町HP https://www.town.aichi-mihama.lg.jp/docs/2013100806067/

山本音吉が日本の歴史上とても重要な存在であったということが、今年9月に相次いでテレビ番組で取り上げられ、一躍脚光を浴びることになりました。「ジョン万次郎より先に海外に渡った日本人」「最初の英国籍を得た日本人」「明治維新後の日本を陰で支えた日本人」として紹介されるようになったのは、この60年にも及ぶ多くの方々の働きの実りです。同時に、日本における聖書翻訳事業の意義を再認識する気運が高まればと願っています。

「主は奇しき業を記念するよう定めた。主は恵みに満ち、憐れみ深い。」(詩編111:4)

「これまでに書かれたことはすべて、私たちを教え導くためのものです。それで私たちは、聖書が与える忍耐と慰めによって、希望を持つことができるのです。」(ローマの信徒への手紙15:4)

来年(2022年)は、故三浦綾子氏の生誕100周年です。イエス・キリストへの信仰を、執筆活動を通して証しするために生涯をかけた三浦氏を思うとき、文書伝道・聖書翻訳・国際貢献という接点から、「何かできないだろうか」という祈りが浮かびます。これらの故人は皆、自らの栄光ではなく、神の栄光を願い人生を全うされました。そのことを覚えるとき、本当に意味がある記念となるのではないかと、思います。実りの秋、主への感謝をここに記します。

主の恵み

2021年11月1日

「廻船と音吉記念館」の館長で、音吉の子孫でもある樋口浩久さん

参考:山本音吉を特集した番組