聖書翻訳の歴史 | 現存する最初の日本語聖書 ギュツラフ訳「約翰福音之傳」と「約翰上中下書」


1 キリシタン時代の初期の聖書
2 三人の漂流民とギュツラフの出会い
3 三吉(岩吉、久吉、音吉)の漂流図
4 現存する最初の日本語聖書
5 日本で最初に出版された聖書 版木が語るロマン……
6 翻訳に尽くした人々 日本の聖書普及事業の始まり
7 文語訳から口語訳へ
8 「聖書 新共同訳」の誕生
顔写真


写真の説明
[左]カール・ギュツラフ(1803~51)
カール・ギュツラフは、広東で中国伝道の為に聖書翻訳に励んでいたモリソン(1782~1834)の志を継承し、日本伝道にその生涯をかけていく。マカオでの三吉との出会いは、まさに劇的である。
[右]ベッテルハイム(1811~70)
ベッテルハイムは、香港でギュツラフに迎えられ、彼の体験を学び、その業績に敬服して、航海中に生まれた長男に「ギュツラフ」と命名したほど彼を慕った。1846年、彼は念願の琉球へ渡る




最初に日本語に翻訳された聖書は、ギュツラフの「約翰福音之傳」(ヨハネ福音書)と「約翰上中下書」(ヨハネの手紙1、2、3)である。

ヨハネ福音書は、1835(天保6)年~36年にかけて、3人の日本人漂流船員(岩吉、久吉、音吉)の助けを借りて、マカオで翻訳され、1837(天保8)年、シンガポールで木版刷りで印刷されたものである。1,690冊印刷されたと伝えられているが、現在、世界には16冊しか残っていない。「ハジマリニカシコイモノゴザル」で始まる全文カタカナで、翻訳の苦労が偲ばれる。この聖書は、その後の研究によると3回印刷されたようである。しかし、1838(天保9)年7月のアメリカ聖書協会の委員会の記録によると、この翻訳は聖書協会が要求する水準にないとの理由で、印刷を打ち切られている。

さらにギュツラフは、「ヨハネの手紙1、2、3」も翻訳したが、僅か2冊しか残っていない。「ヨハネ福音書」と同じ体裁で1837(天保8)年にシンガポールで出版され、大英博物館とパリ国民図書館に1冊ずつ所蔵されている。

約翰福音之傳 60丁(120ページ)
約翰上中下書 10丁(20ページ)
版木彫り代 1丁 約2ドル40セント
版木刷り代 1丁 約16セント
1丁は、見開きで2ページ分である。

ベッテルハイムは、ハンガリー人であるが、英国人の妻の国籍に入った医師であり、英国の琉球海運伝道会の命を受け琉球に派遣された。1846(弘化3)年5月1日、彼は妻と子供3人の家族を伴い那覇に着いた。琉球では迫害に会いながら、「路加傳福音書」(ルカ)、「約翰傳福音書」(ヨハネ)、「聖差言行傳」(使徒言行録)、「保羅寄羅馬人書」(ローマ書)を翻訳、1855(安政2)年香港で出版した。

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