聖書翻訳の歴史 | 日本で最初に出版された聖書 版木が語るロマン・・・ ヘボン、S.R.ブラウン、ゴーブル


1 キリシタン時代の初期の聖書
2 三人の漂流民とギュツラフの出会い
3 三吉(岩吉、久吉、音吉)の漂流図
4 現存する最初の日本語聖書
5 日本で最初に出版された聖書 版木が語るロマン……
6 翻訳に尽くした人々 日本の聖書普及事業の始まり
7 文語訳から口語訳へ
8 「聖書 新共同訳」の誕生
顔写真

写真の説明
[左]ゴーブル(1827~1898)
[中]ヘボン(1815~1911)
[右]S.R.ブラウン(1810~80)










1859(安政6)年、開国後すぐに来日した7人の米国宣教師たちの中で、聖書翻訳の担い手になった、ヘボン、S.R.ブラウン、ゴーブルの3人が、神奈川成仏寺に集められたことは、偶然ではない。彼らは、それぞれに海外で訳された日本語聖書との出会いを経験している。

ヘボンは1841(天保12)年、シンガポールの米国外国伝道協会の印刷所「堅夏書院」でギュツラフの「約翰福音之傳」を見いだした。

ブラウンは、1839年中国宣教師となってマカオに滞在した時、モリソン記念学校の校長として英語を教えながら中国語を学んだ。その校舎はギュツラフ邸であったので当然、彼の影響を受けている。

日本伝道の準備のためにペリー艦隊に参加したゴーブルは、琉球でベッテルハイムの訳業に感激し、その出版の手助けをしたいと願った。

3人は海外訳聖書の系譜を継ぎながら来日し、神奈川成仏寺の一ヶ所に集められ、お互いに一日も早い聖書の刊行を競い合って、この版木に至った。

ゴーブルは、1871(明治4)年に貧困の中で日本最初の「摩太(マタイ)福音書」を出版する。

ヘボンとS.R.ブラウンは、翌1872(明治5)年に「新約聖書馬可傳」(マルコ)、「同約翰傳」(ヨハネ)を、1873(明治6)年に「同馬太傳」(マタイ)を、木版刷りで出版した。まだ、キリスト教は禁制下にあり決死的事業であった。

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