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[左] 「アレッポ写本」(930年)現在ヘブライ大学でこの写本に基づくヘブライ語聖書を作成している。[下] 「バチカン写本」(4世紀)ギリシア語の大文字写本で語と語の区切りが無い。バチカン図書館所蔵。
旧約聖書はヘブライ語で記されている。ごくわずかの部分はアラム語である。(エズラ記4:8~6:18、7:12~26、ダニエル書2:4~7:28その他)。イスラエル民族はカナンの地(パレスチナ)に定着してからヘブライ語を使用したが、後にアラム語が使われるようになった。このアラム語はアッシリア、バビロニア、ペルシアで用いられていた。エズラ記のアラム語部分はペルシア王との間に交わさた手紙であるが民衆は理解できなかったことを示す記録が列王記18:26にある。アラム語は次第にイスラエルに浸透するが、バビロニア捕囚はそれに大きな役割を果たしたと考えられる。ギリシア支配時代以降ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた。福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している。「タリタ・クム」(マルコ5:41)「エッファタ」(同7:34)「アッバ」(同14:36)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(同15:34)がそれである。

新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ-と呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネ-・ギリシア語の世界であったので、新約聖書はコイネ-・ギリシア語で記されたのである。ヘレニズム文化の中心はエジプトのアレクサンドリアであったが、この地で翻訳された旧約聖書のギリシア語訳はコイネ-・ギリシア語であった。この聖書はセプトゥアギンタ(70人訳)と呼ばれている。新約聖書に引用されている旧約聖書はこのセプトゥアギンタによっている。
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